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ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命
2017年3月31日公開

ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命

JACKIE

992017年3月31日公開

山下晴代

2.0

ジャッキーは「オナシス」として記憶される

 本作は、ケネディ大統領の、ジャクリーヌ夫人が、大統領が暗殺された日から4日間の、いかに大統領を歴史に残るように、とくに、葬式を「アレンジ」するのに奔走する姿が、夫を失った悲しみと、暗殺というショックのなかでのがんばりとして描かれているが、もともとこんな「事実」(?)があろうがなかろうが、ジョン・F・ケネディは歴史に残っただろうし、誰も、メディアが映し出した葬儀のことなど忘れてしまうし、世代も交代していくから、こんな「演出」などはどうでもいいことなのである。それをさも、意味があるように描いているのは、チリのピノチェト独裁政権への、反信任キャンペーンを請け負った、広告マンの、骨太な活躍を、ガエル・ガルシア・ベルナル主演で描いた前作『NO』も同じことである。こういう「些末な」、事実かどうか知らないが、それはどちらでもよいような事柄に、さも意味があるように焦点を当てているのは、この監督が、なにか大きな勘違いをしているからのようにも思える。  だいたい、本作の主演のナタリー・ポートマンも、ガエル・ガルシア・ベルナルも、顔は美しいが背が低いという共通点があり、それが、歴史を描くにはなにかもの足りない身体となって現れる。推定身長、ポートマン→158センチ、ベルナル→163センチといったところだろうか。トム・クルーズも同様かもしれないが、クルーズはそれを、オーラのようなものでカバーし、かつ、演出が、「周囲の人物」を、彼の身長にあった、つまり、彼を小さく見せないような俳優陣を選び配していると思われる。  それをおいても、「ジャッキー」という人物には、人はそれほど共感しないようにも思われる。のちに大富豪のオナシスと再婚し、ジャクリーヌ・オナシスという名で、人々の記憶に留められている女には。一方、ジョン・F・ケネディも、アメリカの歴史には珍しく、左翼的に活躍した人物であるが、どうしても、マリリン・モンローの影がちらつく。  彼の弟のロバート・ケネディ役の、ピーター・サースガードは、よく演じていたと思うが、当のジョン・F・ケネディが、完全なる脇として、「ジャッキー」のそばに影のように寄り添っているが、こちらは、セリフはほとんどなく、顔は「そっくりさん」であるが、日本人の私には、どうも林家三平(今の三平の父の「どーもすいやせ〜ん」の方)に見えてしょうがなかった(爆)。

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