3.0点
…ニコール・キッドマンの名前が見えたので観てみる。 …アニー(ニコール・キッドマン)は落ち目の女優で、次作ではオッパイを出さないと使わないと言われている。 作家のバクスター(ジェイソン・ベイトマン)は、一作目は評判は良かったが2作目は不作でスランプ中だ。 で、彼らがファング家の長女と長男である姉と弟で、幼少の頃、姉はAという記号で、弟はBという記号で両親から扱われていた。 で、冒頭、そんなかつてのファング一家が銀行強盗を企てるところから始まるが、これはAとBを小道具として使ったドッキリ(ハプニング・パフォーマンス)なのだった。 AとBが成人してからの彼らの父ちゃん役はクリストファー・ウォーケンで、彼に言わせると、絵画や彫刻などの静止したものには芸術など宿るはずもなく、実際のパフォーマンスにこそに芸術は宿るとして、街中で奇行を演じては前衛芸術家を気取るのだった。 で、話しは元に戻ると、落ち目の女優のアニーはオッパイなんか出してたまるもんかと息巻いていたが、結局はオッパイを出して返り咲くのだった(後ろ姿だけだよ~ン)。 で、2作目が不発のバクスターは生活が苦しくなってきたので、渋々ポテト空気砲だったかの取材を敢行するのだったが、その取材中に片耳に怪我を負ってしまうのだった。 これを契機に、何年かぶりでファング一家は一堂に会するのだが、父ちゃんと母ちゃんが小旅行の最中に誘拐されて行方不明になってしまうのだった。 しかも、車の中には父ちゃんらしきものと思われる血液が溢れていて、DNA鑑定をすると確かに父ちゃんのものと一致するのだった。 しかし、アニーとバクスターは、この誘拐事件も父ちゃんの芸術を気取ったパフォーマンスだと疑って独自に調査に乗り出すのだった。 果たして、アニーとバクスターの父ちゃんは誘拐されて殺されたのか? はたまた、父ちゃん一流の芸術を気取ったパフォーマンスか? だとしても、何故にこのようなパフォーマンスをしなければならないのか?といったストーリーだ。 クリストファー・ウォーケン父ちゃんがラストで茶目っ気を出してホッコリさせてくれると思ったら、本気度満点で、子供たちが可哀想で、胸がゾワゾワと撫でられる結末で、清涼感は微塵も感じない作品だったが、一見の価値はあった。 なお、監督もジェイソン・ベイトマンだ。