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草原の河 (2015)

河/RIVER

監督
ソンタルジャ
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  • みたログ 70

4.09 / 評価:57件

天珠を貴ぶ人々

  • chu***** さん
  • 2017年5月4日 2時14分
  • 閲覧数 1070
  • 役立ち度 4
    • 総合評価
    • ★★★★★

草原の背後に聳える山脈が眩しい。
物語の舞台は、中華人民共和国、青海省、同徳県の草原である。
いわゆる、チベット族自治州である。
物語は、半農半牧畜の地域の、父、子を宿した母、独り子の娘。一つの家族の日常である。(以降、娘からみた続柄で記述する)

チベット族自治州といえば、民族弾圧の情報が多く入るが、この物語では、政治的なものは一切ない。こういった生活者が直面している社会面などは描かれていない。
ただただ、海抜3000mの地で生きる小さき家族の日々の営みが草原の風に乗って観客の心に届く。

政治的なものは無いと言ったが、敢えてあるとすれば、祖父の存在であろう。祖父が"行者"であり、祖父は、昔、修行の身であったとき、無理やり還俗させられ、所帯を持った後、僧院に戻る機会が訪れ、家族を捨てて再度僧籍(行者)となったという事情であろう。(家族を捨て、という表記は私が映画をみての感想で、物語は、そうゆうセリフはないです)
この還俗というのは、恐らく文革ではないかと推測する。

この物語から感じたものは、民族という枠ではなく、男と女、夫と妻というものはどこも変わらんなぁ、というものだ。今時の都会住みの若き日本の男女がこの映画の夫婦をみたら、他所の文化に見えるかもしれんが、この夫の姿、妻の姿は、ちょっと前ならどこでも見えた日本の数多の夫婦の姿だった。えっ、俺はこんな男と全然違うって。いや、そこの爺さん、あんたとおんなじだってばさ。

お母ちゃんのお腹に赤ちゃんがいることが知れたときからの娘の幼児帰りが微笑ましい。
急におっぱいを欲しがる娘に対する対処方法は、あー、私もやったわあって共感するお母さん多そうです。

映画の中の幼子と動物というものは抗えない魅力の塊であるが、本作でも、娘が家に一頭だけ残った子山羊と睦まじくいる姿は、微笑ましくてたまらない。
娘が、ジャチャチャーチャー(羊の名前はジャチャ)て呼ぶ、ジャチャがトコトコ駆け寄る。
トラックに乗って出かける娘を必死で追いかけるジャチャ。娘は妹のように羊を可愛がる。

ジャチャの喪失は、私の父の幼少期の話が蘇り、娘の嘆きが、幼き日の父の嘆きに重なり切なくなった。(私の父は、ちょうど娘と同じ年頃時に子豚を一頭飼っていて名前を付けてとても可愛がっていたのです。ある日小学校から帰ったら・・豚なのでお察し。私の父は動物好きですが、それ以降、結婚後も一切動物を飼うことを拒否しました。)

父親が行者の見舞いに行かないせいで、娘が意地悪な子供達にいじめられ泣きながら帰るシーン(ジャチャを喪いそのショックも癒えてないのに)は、演技とはとても思えない泣き方で。こうゆう泣き方に私弱いんです。

起承転結の結。
娘が祖父と屈託なく触れ合うを背に一人川のほとりに寝転びひっそり泣く父の姿。
ドキュメンタリーではなく物語ならではの、草原の民の生き方の見せ方。
草原を渡る風がピリリとときに心地よく私の頬を撫ぜる。

「天珠についてと思い出した伝説」
物語では、天珠という小さな装身具が恭しく供えられています。
日本でも、オリエンタルなアクセサリーが好きな人ならわりと馴染みがある装飾品です。
チベットの人々の間では、単なるアクセサリーではなく、福をもたらす神様の恵み物だとされています。
娘が母親に、赤ちゃんがどうしてお母ちゃんのお腹に入ったの、と聞きます。よくある問ですね。日本だったらコウノトリが、てお話ししますが、ここでは、天珠が赤ちゃんを授けてくれたのよって言います。

チベットの湖は、女神が落として108個に細かく割れた鏡であると言われています。
娘が手遊びする壊れたサイドミラーと父親がバイクで落ちる氷が溶けた湖を思い出し、ふと思い出した伝説。(うる覚えなので間違っているかも)

(追伸)
言語が朝鮮語と響きが似てるなぁと思った。

詳細評価

物語
配役
演出
映像
音楽

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