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ネルーダ 大いなる愛の逃亡者
2017年11月11日公開

ネルーダ 大いなる愛の逃亡者

NERUDA

PG121082017年11月11日公開

dtm********

4.0

ネタバレ映画的マジック・リアリズム

 この映画は、映画好きよりも文学、特に中南米文学にある程度親しんだ人のほうが面白いだろう。  映画は1971年にノーベル文学賞を受賞した、南米チリの詩人パブロ・ネルーダが政府に追われて亡命するところの物語である。ネルーダは「イル・ポスティーノ」でも登場しているが、本作はその亡命する前のことを描いている。  そればかりではなく、本作は自国の歴史に残る人物を自国の映画人が制作したということだ。  ネルーダは共産党のリーダー的存在の政治家でもあった。そのことで彼は政府から逮捕状が出される。当時は第二次世界大戦直後の、東西冷戦が激しくなりつつあった時代である。米国は共産主義の防波堤として、中南米諸国に下請けの独裁政権を次々と作っていた。そんな米国への恨みも、映画の背景には感じ取ることができる。  逮捕されればどうなるかわからない。そこで彼は亡命を決断する。しかし国境超えは検問に阻まれる。国に無断で抜け出すことすらままならない。  そんなネルーダを追うのが、警察トップの私生児だという若い警官だ。物語はネルーダ逃亡劇といういわゆるサスペンス・ドラマの体裁である。  しかし映画はそんな前提で観ている観客をどんどん混乱に追い込んでゆく。そもそも追跡する警官がなぜナレーション役になっているのか? しかもそのナレーションは、単なる出来事の説明とするにはあまりにも逸脱し過ぎている。  映画では何度か、登場人物の会話シーンがあるのだがそのカット割りも不可解なのだ。  こうして現実にはいろんな不可解要素が絡みつき、果たして映画の逃亡劇というのは現実のままなのかという思いにとらわれてゆく。  その現実と非現実の混交ぶり。しかもそれは何らかの境界で隔てられたものではなく、双方が同一の世界に混じり合っているかのようである。そしてこれこぞ、かのガルシア・マルケスによって世界に認められた中南米文学の「マジック・リアリズム」の真骨頂というものだ。  映画は中南米文学の骨髄を込めている。それはさながら、フランスでリュック・ベッソンが国産のアクション映画作りでハリウッドに対抗するような態度、といっていいものだ。監督のパブロ・ララインは明らかに中南米らしい映画の在り方を作り上げようとしている。そんな強い野心が感じられ、それはまた爽快でもある。JFKの妻を描いた映画と同じ監督とは思えない。  確かにその力みがときに空転するようなところはある。せっかくの妻デリアの存在は、正直なところ別に登場しなくても物語としては成り立つ。  とはいえ、その野心と併せてネルーダの詩的世界にもきっちりと触れているようだ(残念だがネルーダの詩は読んでないので明言できることではないが)。そこには、チリ人として、中南米の出自ある者としての強い自負が感じられる。

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