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女は二度決断する (2017)

AUS DEM NICHTS/IN THE FADE

監督
ファティ・アキン
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3.60 / 評価:562件

解説(鏡像、復讐、罪と罰)

  • aly***** さん
  • 2020年8月8日 14時01分
  • 閲覧数 392
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    • 総合評価
    • ★★★★★

最初、主人公が犯人を爆殺するのを思い留まるのは、その行為が単なる報復行為としての殺人に過ぎないのではないか、と考えたからである。
最初に爆殺を決行しようとした際、爆弾を犯人たちが乗るトレーラーのバックミラー付近で遊ぶ鳥が示される。
爆殺さすればその鳥も巻き込まれて死ぬ。その鳥を巻き込む権利は主人公にない。加えて。鳥がキャンピングカーにまとわりつくのは、バックミラーに取り自らの姿が映り、鳥がそれを他者と勘違いするからだ。ここであらわれる「鏡像」というモチーフは、テロリストと同じテロを主人公が行おうとしている「相似性」を示す。犯人を殺すために作られた主人公が爆弾も犯人の作ったものと同じだ。つあり、夫や子を殺した犯人と主人公はその行為の相似性において「同じだ」という氷河んだ。

そこで、復讐行為もまた犯罪ではないのか、と考えた主人公は悩んで爆殺を取りやめる。
その後、突如止まっていた生理が始まる。爆殺事件で夫と子を亡くしたという絶望的な非日常の時間の始まりのメタファーが一時的閉経(=毎月決まって生理が来るという日常の連続の途絶)だとするなら、「毎月やってくる生理」(=反復)は、「報復の連鎖」のメタファーである。

しかし犯人たちを殺さなければ彼らはまた次の犯行を犯す。それを抑止するための犯人の殺害ももまた連鎖を生むだろう。

主人公の彼女の悟りは、罪のないものを殺すことが罪ならば、一方殺し返すこと=復讐もまた罪だということだ。法が見逃した罪を罰によって犯人に贖わせなければならないとしても、主人公による犯人の爆殺という殺人行為もまた、罰せられなければならない。

だから彼女は、法が裁けなかった犯人に爆殺という罰を下し、犯人の爆殺という罪を自身が同時に贖うために自らにも死を与えたのである。

表象上の苦い結末は、やるせない、あるいは共感できるできないなどという問題ではない。

作者が言いたのは、憎みあう双方が、「復讐することは罰を与えることではなく罪を犯すことではないのか?」という問い=認識に至らぬ限り、殺戮の連鎖は止まらないということだ。

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