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名探偵コナン ゼロの執行人(しっこうにん) (2018)

監督
立川譲
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  • みたログ 7,248

4.09 / 評価:5,831件

コナンは杉下右京になれない

  • oui***** さん
  • 2018年4月14日 19時24分
  • 閲覧数 10556
  • 役立ち度 115
    • 総合評価
    • ★★★★★

レビューの前にひとつだけ。コナンは子供向け映画であることが前提のレビューが散見されますがこのシリーズのボリューム層は20代女性です(ソースはこちら https://cinema.ne.jp/recommend/conan2016042907/)。子供が見るということを考慮していないわけではありませんが、少なくとも近年のコナンはハイティーンから30代前半くらいの女性を意識した作品になっています。よって大人向け・子供向けという切り口はずれています。

22作目の今回は「真実を暴く者」=コナンと「正義を貫く者」=安室という対決構図を作り出していますがまずこれがおかしい。「真実 truth」と「正義 justice」は相反するものではなくむしろセットで考えなくてはならないからです。真実なき正義も正義なき真実もどちらも欺瞞です。公安による、全くの無実である毛利小五郎を証拠を捏造してまで逮捕、送検、起訴直前まで追い込むことのどこにも正義は存在しません。安室(たち)の正義は公安という組織内だけで通用するのであってその被害者である毛利家からすればそれは暴力であり不正義です。
上記の安室(たち)の行動は小五郎や蘭、英理と親しいコナンからすれば絶対に許せないはずです。事実小五郎が手錠をかけられた後阿笠邸で爆発物がただの調理器具と判明したときには怒りと焦りから感情を露わにしていました。しかし物語の最後、安室に小五郎を嵌めた理由を問いその答えが「君の本気が見られると思ったから」という旨だとわかるとあっさりとその怒りを忘れてしまいます。このシーンのみをもって考えると、コナンという探偵は真実を知ることができれば他人の痛みは蔑ろにしてもいい人間ということになってしまいます。多少の犠牲はやむを得ないと言う犯人に「そんなのは正義じゃない」と言ったコナンと毛利家の痛みをあっさり忘れてしまうコナン、果たしてこれらは同一人物なのでしょうか?
アクションや演出は目を引く出来だっただけに主役2人にがっかりせざるをえませんでした。他人を傷つけることを厭わない人間も真実以外に関心を持たない人間も「恋人」を守れるはずがありません。制作陣には女性ファンを「キュン死」させることを考える前にまずはきちんとしたアイデンティティを持ったキャラクターを確立させることを望みます。陳腐なキャラクターに惚れるほど視聴者は馬鹿ではありません。

詳細評価

物語
配役
演出
映像
音楽

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  • スペクタクル
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