シャレード(小道具による表現)の教科書
- kartu_yan さん
- 2021年2月23日 21時13分
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よく練り上げられた脚本だ、と感心する。
日本の映画脚本の多くは論理性がないものが多い。
ところが、「カメラを止めるな」は論理性が高い。第1部の「劇中劇の下手くそなホラー映画」のあと、第2部で「裏側の事情」が明かされていくが、すべての人物の動機づけが過不足なく、噛み合っている。
たとえば「監督」は当初「ワンカット長回しゾンビ映画」の依頼を断る。あまりにも無茶すぎる企画だからだ。
だが、娘が、あるイケメン男優のファンである、と知る。そのイケメン男優が「ワンカット長回しゾンビ映画」に出るのだ。
「監督」の心に、娘から父親として尊敬してほしい、という動機づけが生まれる。だから、無茶な仕事を引き受けてしまうのだ。
このように、すべての人物の動機づけが設定されて、しかも精密機械の歯車のように、噛み合って動いていく。
だからこそ、ラスト・シーンに感動するのだ。娘が「監督」に一枚の写真を渡す。これが感動の、だめ押しになる。「監督」は「ああ、この無茶な仕事を引き受けて良かった」と思わず笑みが、こぼれる。
日本の映画脚本で、このぐらい論理性が高いものは珍しい。
シャレード(小道具による表現)の教科書として、日本映画史に残る作品だ。
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