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幸福路のチー (2017)

ON HAPPINESS ROAD/幸福路上

監督
ソン・シンイン
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3.90 / 評価:106件

誰もが幸福を求め奮闘する!

  • hir******** さん
  • 2021年7月23日 10時25分
  • 閲覧数 189
  • 役立ち度 0
    • 総合評価
    • ★★★★★

(1)
台北郊外の「幸福路」が舞台。アメリカに住むリン・スー・チー(1975生まれ)が、祖母の死をきっかけに帰郷。幼少時からの自分の人生や家族の思い出をたどり、新たな人生を見出す。
(2)
小学校に入り、チーは、青い目で金髪のベティー、またいたずら小僧のウェンと友達になる。小学校は北京語、普段は台湾語だ。ベティーの母は台中に住み、ベティーは親戚に預けられ台北に住んでいた。父親は米国人だが米国に帰ってしまった。ベティーはやがて台中の母のもとに移り、小学校をやめる。ウェンは「金を稼ぐには勉強などいらない」と父親が言い、途中で小学校をやめた。
(3)
チーは、年に一度、高雄にお墓参りに行った。高雄には祖母が住んでいた。祖母はアミ族の女性で、いつもチーの味方だった。
《参考》アミ族は人口約14万人で、台湾の原住民中、最も人数が多い。今も豊かな伝統文化が残る。親族組織では女性の地位が高い。他方、集落組織は男性の権力に属す。伝統的に田畑の作業は女性が行い、漁と狩猟は男性が行う。豊年祭、アミ族の鮮やかな礼服、また実用的な籐編み、陶器などが有名だ。
(4)
チーが生まれた日は、蒋介石総統が死んだ日だ。(1975年)チーの従兄のベンにいちゃんは反政府運動にかかわり警察につかまり、視力を奪う毒入りのお茶を飲まされた。
(5)
「チーを医者にさせたい」と両親は思い、二人は無理をして働き、チーを塾に通わせ高校に入学させた。だが高校(16-18歳)でチーは「社会を良くしたい」とデモに参加。そして大学(19-22歳)は医学部に進まず、文学部に進んだ。
《参考》蔣経国総統の1987年(チー12歳)に戒厳令解除。次に総統となった李登輝(国民党主席)は民主化を推し進め、1996年(チー21歳)、台湾初の総統民選を実施しそこで総統に選出された。
(6)
大学を卒業してチーは会社に就職し、父母の家計を助ける。1999年の「921大地震」で、当時バイク屋を経営していた元「いたずら小僧」ウェンが亡くなった。2001年チー(26歳)はアメリカ人のトニーと出会い、結婚しアメリカに渡る。やがてチーは妊娠。彼女は子供を産みたかったが、トニーは「今は子供はいらない」と言い、二人は言い争う。そんな時、祖母の死をきっかけにチーは、台湾(台北)に帰郷した。トニーは台北までチーに会いに来るが、二人は結局、離婚する。チーは台北の父母のもとで、子供を産む。
(7)
台湾(台北)に帰郷したチーは、「幸福路」に再び住むようになったベティーと再会する。ベティーは娘と息子を抱えたシングルマザーだった。だがベティーは溌剌と生活している。彼女は「『母は強し』よ!」と、「離婚して子供を産んだチー」を勇気づけた。

《感想1》台湾が民主化へと向かう時代、「政治の季節」を生きたチー。彼女の進路選択は、「医学部へ娘を進学させる」という両親の希望を打ち砕いた。しかし両親はチーを愛し続ける。愛の物語だ。
《感想2》米軍人と台湾人女性の間にできた子が、ベティーだ。まだ民主化以前の時代だ。
《感想3》アミ族のおばあちゃんが、チーを勇気づけてくれた。アミ族の神々への信仰が生きていた。
《感想4》生活して行くのは大変だ。「母は強し」だ。だが母だけでない、チーの老齢の父も働き続ける。だが楽しい出来事だってある。誰もが幸福を求め奮闘する。そして「誰もが幸福になってほしい!」と映画は語る。

詳細評価

物語
配役
演出
映像
音楽

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