ここから本文です

この世の果て、数多の終焉 (2018)

LES CONFINS DU MONDE/TO THE ENDS OF THE WORLD

監督
ギヨーム・ニクルー
  • みたいムービー 40
  • みたログ 24

3.53 / 評価:17件

密林に惑う

  • chu***** さん
  • 2020年8月25日 13時22分
  • 役立ち度 0
    • 総合評価
    • ★★★★★

もう猿しかいない
俺がいる
いいやあんたも猿だよ
どうするよ
進むか戻るか問われる彼の横顔
そこはどこともわからぬ密林の最奥

長くフランスの支配下にあったインドシナは
第二次世界大戦パリ陥落によりフランスの主権は一応保たれつつも日本の侵攻を許すことになる。そしてインドシナはフランスと日本の二つの支配を受け、インドシナの人々の間では独立の闘士が生まれつつあった。
戦況は混迷を深め1945年を迎える。
インドシナ植民地政府の解体によりベトナム・カンボジア・ラオスそれぞれ独立させられる。

という背景の下、珍しいフランス軍vs日本軍又は原住民パルチザンという戦場が観られるのかと期待した人もいるかもしれない。私は少し期待した。
が、どっこい地味な撃ち合い以外、そうゆうのは一切なかった。
むしろ、とても静かな映画で、普通のどんぱち系戦争モノを期待する人は寝てしまうかもしれません。
劇中出てくる例の煙吸って気持ちよくなるヤツ吸ってとろんとする主人公たちみたいにとろんと寝るかも知れません。

が、流石ギロチンの国フランス。
劇中でも兵が、首斬られた死体見て、首斬りはうちの十八番なのよぉ、とぼやきますが、中々にエグくてスプラッター映画並のブツ切り死体が度々登場します。日本映画だったらこうゆうのは出しませんね。

1945年3月、兵士ロベールは、休暇で兄夫婦の元を訪れたところ、村が襲撃にあい全滅となる。
映画は、死体の山から始まる。
このとき一瞬日本兵が映り短い日本語(ちゃんとした発音)が出るが、それっきり日本人の姿も影も映画には出ない。
ロベールは、虐殺された兄夫婦の復讐のため、その張本人であろうと推測するベトナムパルチザンのヴォー・ビン・イェンを執拗に追い求めるも、軍に属する一兵士であるロベールには、思うようにならない。
そんな中、原住民の娘にも惹かれ執着するようにもなる。
また、自分と同じとき兄の村に滞在するも一足早く逃げ落ちたフランス人作家と出会う。

まるでフランス文学を読んでいるような雰囲気の映画。
1945年何月、何月、と、ロベールが属する駐屯軍の模様がゆっくりと描かれます。
季節の移ろいとともに虚ろうピエール。

そして、フランス駐屯軍の覇気のなさ、気怠さ。
あーこうやっていずれ力漲るアメリカにバトンタッチされるんだなぁ、と必然を理解した気分になった。
と、同時に、何月何月っていってくれるから、日本軍はこのときあーでこーで、日本はあーでこーで、と気持ちが彷徨っているロベール観ながら、裏情報もつらつらと考え。

ヴォー・ビン・イェンを諦めきれないロベールの前にひとりの少年が現れる。
少年の案内でジャングルに分け入るロベールの隊。
唯一怖いと思ったシーン。
少年の一瞬の笑み。あの笑顔。

ジャングルは全てを飲み込む。
復讐だけを拠り所に全てを無くした男の行き着くところは。

そして1946年・・・

ロベールの拠り所はなんだったのだろうか。
故郷のことは言葉少なく。
兄だったのだろうか。
他の映画のように敵への怒りや憎しみを暴力的に当たり散らすこともなく、激しさを他者へ見せつけることもなく。
ロベールはなにを見ていたのだろう。


PS
主演のギャスパー・ウリエル。もう少し日焼けしといたほうがよかったと思う。
日焼けサロンで焼いとって欲しかった。
たぶん黒くならないで赤くなるタイプだとは思うけど。

連チャンでジェラール・ドパルデューを見てしまった。作家役です。太っているせいか万歩計動きません。ドパルデューの肉体の存在感に比べていまひとつ、映画の中での作家の役割と意義が今ひとつ希薄だった気がします。

詳細評価

物語
配役
演出
映像
音楽

イメージワード

  • 未登録
このレビューは役に立ちましたか?
利用規約に違反している投稿を見つけたら、次のボタンから報告できます。 違反報告
本文はここま>
でです このページの先頭へ