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海獣の子供 (2019)

CHILDREN OF THE SEA

監督
渡辺歩
  • みたいムービー 490
  • みたログ 1,239

3.49 / 評価:1,039件

見る価値はあると思う

  • etl***** さん
  • 2019年10月10日 12時32分
  • 閲覧数 853
  • 役立ち度 2
    • 総合評価
    • ★★★★★

映画は語りすぎだと思った。
漫画読んで感じたのは、原作はすごくスローペースで読まされているような気分があって、その中でときたまヒントのように散りばめられた言葉から、読者は自分の感情や思考とリンクさせて、生命と人間の精神と世界の繋がりみたいなものを意識していく感覚だったんだけど。それはクイズとかそういうわざとらしいもの、意図的なものじゃなくって、誰しもがもつ生きている限り世界の全てから学びを得る感覚っていうか。それって偉く独りよがりなんだけど、世界から何かを教えてもらったような気分になる。

映画だといかんせん短いから、漫画と同じ言葉を並べたとしても、そのヒントのスパンってのは短くなって、自分の思考と照らし合わせる前に、映画側から用意されたものが押しつけられてるような印象。
極論言うなら台詞がなくてもよかったまである。それは漫画を読んで内容が分かってるからかなと自問自答もしたんだけど、どうもそうじゃなくて、映像体験としてあれだけイメージを具現化してるんだから、言葉を捨てることによって伝わり育まれる感想があった気がするんだよ。

後半のあのシーンについても色鮮やかなのを見て驚いた。なにに驚いたかって、色がつくだけであれだけ印象が変わるんだなって。これはもう原作に盲目的になってるって言われても仕方ないと自分でも思うけど、あそこのシーンはモノクロがベストだと思った。漫画だからモノクロ、映画だからカラフルとかじゃなくて。
あそこをあんなに色鮮やかに描いちゃったら、まるで神か何かの視点みたいじゃないか。
もっと内側の視点なんじゃないのか。赤ん坊が不明瞭な薄いまぶたの裏の視界で、母親の胎内のピンク色を見たりするような。世界の形が最初から全てわかるなんてあり得ないから、手探りでその形を感じていくんじゃないのかって。神だとしても内側の神なんじゃないか。

映画だけじゃなく全ての表現物において、直接的に語らない、見せないってことをする人がいるのは、今まで「その隠されたものに気づいた感覚」に面白さを感じるからかなと思ってたんだけど、どうもそうじゃないケースがあるんだと思って。人の心って感受する窓口がえらく狭いときがあるから、その窓口を広げるように優しくノックするために、そういうことをする必要があるんじゃないかと。

アニメってどうあるべきかとかは俺はよくわかんないんだけど、その原作を何か別の形にするときに必要なことは何かってことが一番重視されるべきことじゃないかと思う

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