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マンディ 地獄のロード・ウォリアー (2017)

MANDY

監督
パノス・コスマトス
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2.42 / 評価:154件

解説

『ゴーストライダー』シリーズなどのニコラス・ケイジらが出演したホラー。妻を惨殺された男が、壮絶な復讐(ふくしゅう)を仕掛ける。監督は『ランボー/怒りの脱出』などのジョルジ・パン・コスマトス監督の息子のパノス・コスマトス。『シャドー・ダンサー』などのアンドレア・ライズブロー、『すべては愛のために』などのライナス・ローチらが共演。

シネマトゥデイ (外部リンク)

あらすじ

レッド(ニコラス・ケイジ)は、人里離れた場所で最愛の女性マンディ(アンドレア・ライズブロー)と平穏な日々を過ごしていた。だがマンディに異常な執着を示すカルト集団に、目の前で彼女を焼き殺されてしまう。激怒した彼は自身の手で武器を作り、復讐(ふくしゅう)を誓う。しかし、その行く手を阻むように、不気味な姿をしたバイカー軍団が彼の前に現れる。

シネマトゥデイ (外部リンク)

映画レポート

(C)2017 Mandy Films, LTD. All Rights Reserved
(C)2017 Mandy Films, LTD. All Rights Reserved

「マンディ 地獄のロード・ウォリアー」一瞬たりとも“正気”を感じさせない、ねっとり絡みつくような極上の悪夢

 とんでもない悪夢を見た――と、形容するしかないのが異色のバイオレンス映画「マンディ 地獄のロード・ウォリアー」の鑑賞体験だ。嫌な思いをして後悔しているのではない。なんとも魅惑的で、それでいて禍々しく、ねっとり絡みつくような極上の悪夢が121分の上映時間ずっと持続するのである。

 ストーリーは単純で、「愛する人を奪った狂った悪魔を狩る!」とチラシにも載っている。妻を失ったニコラス・ケイジが、復讐の鬼と化してたった一人で立ち向かう。付け加えることがあるとすれば、“狂った悪魔”は本物の悪魔じゃなくて、カルト教団とその教祖ですよ、というくらいだ。

 「B級映画」とほとんどの人が思うだろう。イメージだけで言うとニコラス・ケイジならそんなジャンル映画に10本か20本は出ていそうだ。「地獄のロード・ウォリアー」という副題も安っぽさを助長しているが、おそらく確信犯的に付けたのだろう。本作の魅力をどう説明しようとしても、作品の本質から遠ざかるばかりで、威勢のいいジャンル映画に見えた方がまだいい、という苦渋の判断だったのではないか。

 キング・クリムゾンの幻惑的な「スターレス」が流れるオープニングから、悪いクスリでブッ飛んだとしか思えないサイケな映像が流れ、一瞬たりとも“常識”だとか“正気”を感じさせることはない。「1983年」と時代設定が説明されるが、現実の1983年というより、パノス・コスマトス監督の脳内で生み出されたダークファンタジーの世界と呼んだ方がいい。

 そう、あらゆる描写が現実と切り離されているという意味で、これはファンタジー映画だ。悪魔に愛妻を奪われたウォリアー(戦士)は、復讐の旅に出る前に、まず鍛冶場で武器を作る。その形状はスイスの極悪メタルバンド、セルティック・フロストのロゴを模しているのだが、斧のような剣のようなオリジナルの武器であり、悪魔に打ち勝つために自ら邪神となる儀式なのだ。

 ウォリアーの前に立ちふさがるバイカー軍団も、もはや人間の体をなしていないモンスターばかり。「でも1983年のアメリカが舞台でしょう?」という常識の声はコスマトス監督にもニコラス・ケイジにも届かない。本作はあらゆるシーンがダークな詩篇であり、ポエムであるからこそ、アンタッチャブルな孤高のパワーで観る者の脳を侵食するのである。

 何を言ってるかわからないって? 同感です。でも、この映画を観てまともなことが言える人なんて絶対にいない。ここまでの文章を全削除する代わりに、最後に3ワードでまとめておく。「なんだこりゃ、すげえな、オイ!」(村山章)

映画.com(外部リンク)

2018年11月1日 更新

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