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ドント・ウォーリー (2018)

DON'T WORRY, HE WON'T GET FAR ON FOOT

監督
ガス・ヴァン・サント
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3.49 / 評価:196件

向き合い抱きしめて、あなたは愛で溢れてる

  • dr.hawk さん
  • 2019年5月4日 21時26分
  • 閲覧数 539
  • 役立ち度 3
    • 総合評価
    • ★★★★★

2019.5.4 字幕 MOVIX京都


2018年のアメリカ映画
実在の人物、風刺漫画家のジョン・キャラハンの自伝映画
原作は彼自身の自伝『Don’t Worry, He Won’t Get Far on Foot』
監督&脚本はガス・ヴァン・サント


物語は主人公ジョン・キャラハン(ホアキン・フェニックス)が禁酒会(通称AA、アルコホーリク・アノニマス)に参加している様子が描かれて始まる

そしてそのカットに挿入されるのが、風刺漫画家として認知された現在の講演の様子である

AAにてメンバーの物語に耳を傾けるジョン
それぞれが問題飲酒者として自分を語り、この会を主催するドニー(ジョナ・ヒル)もまた体験者であった

ジョンの日常は介護人ティム(トニー・グリーンハンド)や福祉担当のスザンネ(キャリー・ブラウンスタイン)、恋人アヌー(ルーニー・マーラー)たちの協力なくては成り立たない

だが彼が四肢麻痺になった原因を「彼自身は自分だと認めておらず」やや自暴自棄気味に周囲に当たり散らしていた

そしてある日、ジョンが語る日がやってくる
皮肉交じりに話し始めるジョンだが、肝心なところはぼやかしたまま
ドニーはAAの「12のプログラム」に従って、ジョンを導こうと歩み寄っていく


物語はジョンが「いかにして現在の難題を抱えたのか」と並行して、「いかにして禁酒を成し遂げて舞台に上がっているのか」を描いていく

劇中でもステップをひとつずつ昇っていくことはわかるのだが、このあたりはアルコホーリク・アノニマスの公式サイトで復習した方がより理解が深まるだろう

アルコホーリク・アノニマスは「匿名のアルコール依存症者たち」という意味合いを持ち、「12のプログラム」と「12の伝統」によって構成されている「非組織団体」である

自助グループは「ひとりの問題飲酒者がもうひとりのアルコホーリクにお互いの飲酒の問題について経験を分かち合う」という方式を持ち、その主催者はアマチュアでなければならない

「12の伝統」は言わばAAの在り方を定義し、「12のプログラム」は実践方法となる

ざっくりと説明すると「認知」「自覚」「宣言」「謙虚さ」「対象者の選別」「原因の探求」「対象者及び自己への許し」そして「同胞への扶助」と言った流れとなっている


この映画では「依存症」とどう向き合い克服するかを描いていて、ジョンがいかにして風刺漫画家として成り上がったかを描いていない

自伝がそういう作りになっているのだが、ジョンが風刺漫画家として世の中を斜に見ていた時期が、このプログラムを機に変化していくのが描かれている

それまで攻撃的にユーモア優先だった漫画が、スザンネへの謝罪と彼女のアドバイスによって「愛」へと変わる

この瞬間がとても美しい


彼が変化を果たすのはプログラムの後半にある「自分が傷つけた人のリストを作り、直接埋め合わせをする」という段階である

このエピソードに入る前にようやく「四肢麻痺」についてジョンは語り出す

そしてドニーは言う「なぜその車に乗ったのか?」と

事故はデクスター(ジャック・ブラック)の飲酒運転が原因であるが、一緒に酒を飲んで飲酒運転を止めなかったのもジョンであり、彼が運転する車に乗ったのも自分の意思である

どこかで「自分は被害者なんだ」という意識があり、それは「自分を捨てた母」へも同等の意識があった

ジョンはデクスターとの和解の中で、彼自身が自分以上に苦しんでいることを知り、母もまた自分以上に悲しんでいたかも知れないと考えるようになる

この利他的な物の見方によって、彼の風刺は無差別的な攻撃から愛へと変わる

今ここにいる自分は、自分一人の力で来た訳ではないことを知り、そして自分を連れてきてくれた感謝とともに、同じように悩みを持つ他人を導こうとするのである


ラストシークエンスではドニーの葛藤を胸に刻み、人を救うことで自分が救われることを知る

このプログラムは「過去の自分と向き合う」とともに、「現在の自分への変化を他人を通して直視する」必要がある

依存症治癒への第一歩が「認知」なのはそう言った理由があるのである


いずれにせよ、風刺という毒が愛されるには「対象者への愛」が必要である

それまでは「相手の感情を動かす」ことに終始し、その為に過剰な風刺を行なってきた
だが、その行為自体はユーモアとはほど遠いものであり、相手を下げて笑いにする卑屈さにまみれている

プログラムの中でも「自分の話をしよう」とドニーは言う

それは「あの人はこうなんだ」というレッテルを貼って遊ぶのではなく、「自分があの人だったらどんなユーモアを思いつくだろう」という視点の転換に繋がるものである

その他者目線との重なりの中で自分を知り、そして自分自身の手で自分を救う

回り道に思えるかもしれないけど、とても大切なことだと感じた

詳細評価

物語
配役
演出
映像
音楽

イメージワード

  • 泣ける
  • 恐怖
  • 勇敢
  • 知的
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