あらすじ・解説
優勝者が後に有名なコンクールで優勝するというジンクスで注目される芳ヶ江国際ピアノコンクールに挑む栄伝亜夜(松岡茉優)、高島明石(松坂桃李)、マサル・カルロス・レヴィ・アナトール(森崎ウィン)、風間塵(鈴鹿央士)。長年ピアノから遠さがっていた亜夜、年齢制限ギリギリの明石、優勝候補のマサル、謎めいた少年・塵は、それぞれの思いを胸にステージに上がる。
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予告編・動画
作品レビュー(507件)
- mif********
3.0点
原作の大ファンで、私の中では格違いの名作だと思っております。 故に、実写化は反対していたし、 公開されてからも、観るつもりはなかったんだけど・・・・ UNEXTで配信が始まっていたし、鈴鹿央士が風間塵役だと改めて知って、 観てみたんですね。 名作の実写化は、ほぼ残念な事になる・・・と覚悟をして観たんですが、 ハードルがとことん低かったせいなのか、 観た直後は、「それほどでもなかった・・・」という安堵感がありました。 キャストは十分その役割を果たした。 ピアノが弾けなくなってしまったピアニストの、不安定な所。 正統派ピアニストの、真面目な所。 庶民派ピアニストの、焦りや羨望。 異端児ピアニストの、ピュアな情熱。 それぞれが、しっかりと演じていたと思う。 それなのに・・・・ 正直、「天才」という感じが伝わってこないのは、何故なんだろう。 松坂桃李を通して、共有する羨望の想いが、なかなか生まれてこないのは、何故なんだろう。 その理由は、俳優陣に原因があるのではなく、演出の問題ではないだろうか。 「天才」の演奏を前にした、 感情の爆発や、驚愕が、 表現出来ていないのだと思う。 観客の表情や、拍手のスケール・・・・ そういったものが、不足しているように感じた。 終始、言葉が少なく、「天才」を表現する台詞もなかった。 俳優陣の「天才」演技を裏付けるものが、しっかりと表現出来ていなかった。 庶民を代表するのが、ブルゾンちえみでは役不足。 本来なら、感動の代弁者であるべき斉藤由貴は、終始、表情を変えず、 感情が汲み取れない。 ならば、観客のスタンディングオベーションで・・・と思うが、 このスケールが、どれも同じで・・・・ 原作であれほど感じた、「天才」への尊敬・羨望の感情が、 映画では、引き出されなかった。 これが、最大に失敗ではないだろうか。 ☆3つを付けたが、これは。原作読了の上での評価だ。 正直、原作未読だと、どうなんでしょう・・・ あの4人が、海へ出かけるシーンは、何で??と思わないかな? 全体的に、原作の素晴らしいシーンを、切り取った感じがする。 キャスト陣の個々の演技は良かったが、そこに流れる、 成長や感情の波が、描かれずに終わっている。 しかし、通常なら、拍手や言葉で「天才」を表現し、 その感動に演技がついていっていない・・というパターンが多く見受けられる中で、 この作品は、見事に逆なのである。 ピアニストという難しい役柄を、演じたキャスト陣には、 ☆3つあげたい。 原作読了後にしたためたレビューを、久しぶりに読み返した。 読了後の興奮を、思い出した。 映画よりも、原作を読んで頂きたい。 文字だけで、これほどまでに、音楽を感じて、感動出来るものかと。 文字が、映像を凌駕した。 その証拠が、ここにある。
- kis********
2.0点
要は「のだめ」と同じじゃん。原作と大分違うんだってね。そーゆー事しちゃいけないね。鹿賀丈史は指揮うまかった。
- kkk********
3.0点
見事な演奏に聞き入ってしまうが、映画的にあまり感動や驚きはなく、予想通りに話は進みます。キャストは本当にピアノが弾けるのか?練習したのか?合成か?いずれにしても体力のいる職業ですね。
- le_********
3.0点
栄伝が過去に思いを馳せるときのイメージシーンが、現在に至る彼女のありかたと乖離
監督・脚本:石川慶、原作:恩田陸『蜜蜂と遠雷』、製作:市川南、撮影:ピオトル・ニエミイスキ、編集:石川慶、太田義則、照明:宗賢次郎、録音:久連石由文、美術:我妻弘之、音楽:篠田大介、音響効果:柴崎憲治、オーケストラ演奏:東京フィルハーモニー交響楽団、主演:松岡茉優、2019年、119分、配給:東宝。 四人の若きピアニスト、栄伝亜夜(松岡茉優)(20歳)、高島明石(松坂桃李)(28歳)、マサル・カルロス・レヴィ・アナトール(森崎ウィン)(19歳)、風間塵(鈴鹿央士)(16歳)が、伝統あるピアノコンクールに臨む。予選から本選に至るまでの物語を、その四人のかかわり合いを横糸に通しながら描いていく。優勝は誰になるかという競争に重点を置かず、それぞれのピアニストの音楽に対する考えや信念を交えて描いているので、ライバル意識や演奏に関する悩みというのは最小限に抑えられている。 中心人物は、栄伝亜夜で、幼いころから母にピアノを教えてもらっていたが、七年前、母が亡くなった直後のコンクールでは、何も弾けぬまま、舞台から去ってしまったという過去がある。幼いころ同じくこの母にピアノを習っていたのがマサルである。高島明石には妻子があり、およそピアニストの世界とはかけ離れた田舎に住んでいるが、音楽とは生活者の音楽を意味するという考えをもち、年齢的にもラストチャンスである。風間塵はフランス在住で、父親が養蜂業のため、採蜜のため欧州を移動しつつ暮らしている。ピアノ自体をもっておらず、木でできただけの音の出ない鍵盤を叩いて練習してきた。ピアノの大家で亡くなる直前のホフマンから推薦状をもらい、コンクールに臨む。その演奏後には調律師も呆れるほどの野性的な演奏をする。この世界への登場ぶりから、蜜蜂王子と呼ばれるようになる。 四人が海岸に散歩に出たとき、風間塵が栄伝亜夜とマサルに、海岸線の遥かかなたに雷が光るのを見て、世界が鳴っている、と言う。タイトルの「蜜蜂と遠雷」はこのへんからきているのだろう。 音楽の演奏を入れた映画は、製作に非常に時間がかかる。演奏中のシーンでは、プロのピアニストと俳優の演技を、その楽曲のメリハリに合わせて、キレよく編集しなければならない。本作品では、監督兼脚本の石川慶が編集も行っている。どれもうまく撮られ、うまく編集されている。クラシックファンには身近な曲もたくさん聴くことができ、ラストの栄伝亜夜によるプロコフィエフ「ピアノ協奏曲第3番ト短調」は、映画の流れからしても圧巻である。原作では、本選で、マサルが「第3番」を弾き、栄伝が「第2番」を弾くが、本作品では、マサルが「第2番」を弾き、栄伝が「第3番」を弾いている。ラストに向けての盛り上がりとして、「第3番」の第3楽章のほうがふさわしいという判断からであろう。この判断は正解だ。 若い四人の出番は当然多いが、その演技力を補うかのように、斉藤由貴、鹿賀丈史、平田満、光石研らが配置され、タイムリーに登場し、脇を固めている。 あえて主役というなら栄伝亜夜だが、そこに多少の注文をつけたい。母との想い出、7年前にコンクールで舞台から去ったこと、今回は意を決してコンクールに臨んだこと、これら時系列に並んだ事実は観ていればわかるが、栄伝が過去に思いを馳せるときのイメージシーンが、現在に至る現実の彼女のありかたと結びつかず、乖離していてしっくりこない。塵やマサルたちとの会話シーンでは、台詞、即ち、言葉があるからその心境を理解できるが、過去を描く映像シーンが、子供らしさや不安、母の死による悲しみやショックなどと程遠い気がする。 また、初登場シーンからして、そうした過去があるにもかかわらず今回挑戦することになった、という気配がなく、能面を付けて突っ立っているだけで親近感も湧かない。これは、松岡茉優の演技力不足もあるのだろうが、監督の演出の方法がおかしいからではないか。途中から塵やマサルとのやりとりで心境が変わってきて、一旦また去ろうとした本選でみごとな演奏をし笑顔を見せるが、そうした後々のシーンを考えて前半を能面にしたとしか思えない。 ここは多少脚色してでも、本人にもう少し語らせ、表情を豊かにさせてもよかった。
- jim********
3.0点
ネタバレ原作読んでいないと理解できない
このレビューにはネタバレが含まれています。
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