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ハウス・ジャック・ビルト (2018)

THE HOUSE THAT JACK BUILT

監督
ラース・フォン・トリアー
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3.10 / 評価:412件

解説

『ダンサー・イン・ザ・ダーク』『アンチクライスト』などのラース・フォン・トリアーが監督を務めたスリラー。殺人に明け暮れるシリアルキラーの12年を描く。『クラッシュ』などのマット・ディロンをはじめ、『ヒトラー ~最期の12日間~』などのブルーノ・ガンツ、『キル・ビル』シリーズなどのユマ・サーマン、『アメリカン・ハニー』などのライリー・キーオらが出演。

シネマトゥデイ (外部リンク)

あらすじ

1970年代のワシントン州。建築家志望の独身技師ジャック(マット・ディロン)が車で人けのない雪道を通り掛かると、女性(ユマ・サーマン)が車が故障したと助けを求めてくる。ジャックは彼女を車に乗せ修理工場まで送るが、彼女は急に態度を変えて無神経で挑発的な発言を繰り返し、ジャックは彼女に怒りを募らせる。

シネマトゥデイ (外部リンク)

映画レポート

(C)2018 ZENTROPA ENTERTAINMENTS31,ZENTROPA SWEDEN,SLOT MACHINE,ZENTROPA FRANCE,ZENTROPA KOLN
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「ハウス・ジャック・ビルト」問題作か、自嘲ギャグか? いつもにも増して知的な刺激に満ちた全方位的嘲笑

 カンヌ国際映画祭で、上映中に多くの観客が席を立った? そんなニュースはラース・フォン・トリアー作品においては珍しい話じゃない。いかにもトリアーらしい「いつものこと」だ。では、本作はいつものように、もしくはいつもにも増して“問題作”なのだろうか?

 「ハウス・ジャック・ビルト」はマット・ディロン演じる連続殺人鬼ジャックの凶行を五章構成(+エピローグ的な別エピソード)で描いており、およそ良識や倫理からかけ離れたことばかり起きる。当然バイオレンスやグロテスクな描写も多い。しかし私見を述べるなら、本作は“問題作”かも知れないが、同時にいつもにも増してトリアーの“まとも”な面が表出しているように感じられるのだ。

 ジャックが語る連続殺人エピソードはどれも本当にヒドい。ジャックは嬉々として、凶行の数々を芸術家が作品を創り上げるプロセスになぞらえてみせるが、その論法はただただ自分にのみ都合がよく、オノレを正当化しようとしている言い訳に過ぎない。ブルーノ・ガンツ扮する「ヴァージ」という男(ダンテの「神曲」の登場人物)が批判的な聞き手の役を務めるのだが、そのヴァージもついジャックの論法に惹き込まれてしまうので、“まとも”という尺度で計るにはなんとも頼りない。

 では一体本作のどこが“まとも”なのか? 実はトリアーは、主人公ジャックの悪逆非道を描きながら「愚かな人間をサディスティックに描いてきた自分自身」を皮肉たっぷりに笑い飛ばしている。ジャックのエピソードがヒドければヒドいほど、本作はブラックコメディ色を強め、ジャックとヴァージの禅問答は身も蓋もないバカバカしさを帯びてくる。われわれ観客は、「ひねくれ者の映画監督の自嘲ギャグかよ」とうそぶいて、自分を「安全圏」に置くこともできる。

 ただし、トリアーが矛先を向けているのはトリアー自身だけではないのだ。頭の片隅で残酷な妄想をもてあそび、世の中に垂れ流されている暴力をエンタメとして消費し、現実世界の悪徳に無力で無関心な大衆ではないと言い切れる清廉な人間が、果たしてこの世に存在するだろうか? ジャックはそんな暗い大衆心理を具現化するかのように、あの手この手で露悪の道をひた走るのだ。

 そんな無頼な姿にほんの少しでも共感や憧憬の念を感じてしまったら、観客はまんまとトリアーの手の内に墜ちることになる。本作に充溢している「オレは愚かでバカだが、お前たちはどうだ?」とでも言いたげな全方位的嘲笑は、いつもにも増して知的な刺激に満ちているのである。(村山章)

映画.com(外部リンク)

2019年6月6日 更新

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