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37セカンズ (2019)

37 SECONDS

監督
HIKARI
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4.33 / 評価:399件

触ることと、関係性

  • @tkitamoto さん
  • 2020年5月30日 16時56分
  • 閲覧数 603
  • 役立ち度 0
    • 総合評価
    • ★★★★★

2020年5月28日、茨城県の「あまや座」にて、鑑賞。
コロナウィルスによる営業自粛後、まもない時期の鑑賞となった。
公開時に見たいと思ったが、茨城県では上映されなかった。
このように今回茨城県にて鑑賞できることになり、劇場に感謝したい。

冒頭、主演のユマ(佳山明)が風呂に入る際にフルヌードになるが、この映画がポスターなどによる綺麗なイメージではなく、「アダルトな18禁映画」であることを宣言している。
必要性からいえば、このシーンでわざわざヌードになることもないはずだが、そういう映画であることを観客に知らしめた。
この映画のタイトルは「37セカンズ」になっているが、「あ・だ・る・と」とでもした方が相応しい(高橋源一郎の小説とは関係ない)。

この映画の監督は、アメリカ仕込だけあって、日本映画的な叙情的なところがまったくないのがよい。
日本の映画監督ならば、もっとウェットなシーンが入るはずだ。
典型的なのは、最後、ユマがタイから帰国した際に母が迎えるシーン。
母は出迎えもせず、キッチンに座ったままである。
その後、ユマがタイで双子の姉(妹?)に出会ったことを告げ、なにやらスケッチを見せたところで母は号泣するわけだが、そのスケッチの中身は不明である。
日本映画的な風景ならば、母は迎えに行き号泣となるはずだ。

ひとつ感じたことは、性や身体を題材にしていながら、触るということに無感覚であったことだ。
また、親子、双子の姉(妹)、ともに愛情の表現としての触るというシーンが見当たらなかった。
母と娘は一緒に風呂に入るということで、愛情を見せていたのかもしれない。
だが、ユマが双子の姉(妹)に別れるとき、単にハグするだけでよかったのだろうか?
ワタシは、ふたりが強く握手するという方がシーンとして、美しいと思われた。
だが、そのシーンを成立するためには、ユマの手がもっと語られなければならない。
身体が不自由であるが、手はほぼ自由に動かせるのだから、そこにもっと視線が向けられるべきではなかったか?

触るという意味においては、ユマが漫画を書く道具がApple Pencilであることも関係するように見えた。
鉛筆や万年筆で紙に刻むのは触る行為の延長だが、スクリーン上に滑らせるApple Pencilでは、触るということにならない。
現代、漫画を書く道具として、タブレットに書くことは普通のことなので、そこに深い意味はないかもしれない。
だが、身体性、愛情、または性と触るということは深い関係にあるわけで、そこにフォーカスして表現のひとつを見せてもらえたら、この映画の深みがもっと増したような気がしてならない。
端的にいえば、手で愛を語らせるということだ。

そんな難しいことは、さておき、主演の佳山明の存在はこの映画のすべてだ。
演技なのか素なのか、まったくわからないのがすばらしい。

渥美としのりが出ていることによって、この映画がぎゅっと締まったような気がする。
これは映画であるということを、存在によって知らしめている。
孤児のようなこの映画にとって、日本映画としての繋がりが感じられたからだろうか?

この映画は、劇場で「つつんで、ひらいて」という装幀家菊地信義氏のドキュメンタリーと同時に上映されており、連続して観ることができた。
菊池氏が仕事について語る過程で、「人間とは関係性でなりたつ」というような言葉が印象的なのだが、この「37セカンズ」は、人との関係性を見出すことによって、ひとりの女性が自立へ一歩踏み出す。
そんな映画になっている。

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