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テリー・ギリアムのドン・キホーテ (2018)

THE MAN WHO KILLED DON QUIXOTE

監督
テリー・ギリアム
  • みたいムービー 166
  • みたログ 358

3.50 / 評価:265件

ロスト・イン・ラ・マンチャ

  • 出木杉のびた さん
  • 2020年2月29日 9時52分
  • 閲覧数 639
  • 役立ち度 2
    • 総合評価
    • ★★★★★

テリー・ギリアム監督が、構想から30年の歳月をかけて執念で完成させた、ドン・キホーテの物語。数々のトラブルに見舞われると、大概諦めてしまうものだが、どうしてこの企画に見切りをつけなかったのか。とても面白く観ることはできたのだが、戸惑いも隠せない。物語がどこへ向かおうとしているのかさっぱり分からず、意外な展開についていくのがやっとであった。評価が固まるのには、しばしの時間が必要なのかもしれない。

CM撮影中の監督トビー(アダム・ドライバー)は、自身に行き詰まりを感じていた。そんな彼の前に亡霊のように蘇る、学生時代撮った映画『ドン・キホーテを殺した男』。撮影された村に久しぶりに行ってみると、ドン役を演じた靴職人ハビエルは、今でもドン・キホーテそのものとして生きていた。彼は正気を失ってしまったのか。トビーはハビエルに、徹底してドンであることを強要し、役作りさせた。責任を感じる一方、この男から逃げ出したかった。自分のしてしまったことに、責任のとれない男だ。しかし、逃げようとしても、どうしてもドンから逃げきれない。仕方なくトビーは従者サンチョ・パンサとして、ドンの冒険に付き合わされることになる。

二人の前に現れる様々な幻影は、画面にもそのまま提示されるので、観客もその度に幻惑させられることになる。どこまでが真実で、どこからがイメージなのか、判別し難い映像マジックは面白い。そんな幾重にも仕掛けられた罠を通り抜けた先に見えるもの。それこそ監督がこの映画を通じて伝えたかったメッセージなのだ。プロデューサーやスポンサー、ボスを裏切ってまで守り抜かねばならないもの。それは監督としての作家性であり、命懸けて役作りに挑む役者たちでもある。

着地点の見えない彷徨の末に行き着いた結末は、映画を撮る者としての、責任の取り方の提示であろう。ミイラ捕りがミイラになったようなものだが、ドン・キホーテは死なないのだ。役者が代わろうとも、何としても後世に語り継がなければならない物語。それはテリー・ギリアム監督がこの映画を意地でも撮り上げなければならなかった所以であり、監督こそが映画という幻影と戦い続ける、ドン・キホーテそのものに他ならないからだ。

詳細評価

物語
配役
演出
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音楽

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