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愛国者に気をつけろ!鈴木邦男 (2019)

監督
中村真夕
  • みたいムービー 6
  • みたログ 7

3.33 / 評価:6件

鈴木邦男が変わった理由を考えてみた

  • lry******** さん
  • 2020年8月19日 17時32分
  • 閲覧数 270
  • 役立ち度 6
    • 総合評価
    • ★★★★★

中野の、まるで昭和の学生が住むような古いアパートを見た時、私は内心ほっとした。鈴木邦男は怪物ではない。名声ある右翼がしばしばまとう攻撃的で恐ろしいイメージなどまったくなく、淡々と来し方を語るひとりの老人が、そこにぽつんといるだけだった。

もっとも、鈴木もかつてはテロを容認していた(「対話するより暴力に訴えた方がずっと早い」と映画の中でも語られている)。しかし、現在では鈴木は基本的に言論の人間であり、思想や立場の異なる人々とも積極的に対話を試みている。

なぜ、鈴木は変わったのか? 映画から読み取れることを私なりにまとめてみた。

三島由紀夫の事件は、高度経済成長の真っただ中で起きた。戦争の記憶が徐々に風化し、誰もが物質的な豊かさと幸福な未来を信じていた時に日本人の在り方を問うなど、ずいぶんと酔狂であった。楯の会は「軍隊ごっこ」と揶揄されもした。しかし、三島は森田必勝らとともに自衛隊の市ヶ谷駐屯地に乗りこみ、自決する。

確か文芸評論家の奥野健男だったと記憶するが、彼は三島の行動を「命を賭けた冗談」と評した。「ごっこ」も「冗談」も、命を賭ければ真実になるということだ。

自分の思想に命を賭けるのなら、他者の思想にも彼の命を賭ける何ものかがある。批判は尊重と表裏一体であるという精神が、あの時代にはまだ存在した。しかし、平成以降、その精神は急速に失われてしまった。鈴木邦男はそれを憂えているのだ。

特に第二次安倍政権がスタートして以降、排除の論理(小池百合子もふりかざしていた)があまりに堂々とまかり通るようになった。異なる思想を、異なるというだけで否定しようとする。批判ではなく否定であり、尊重の精神もない(「こんな人たちに負けるわけには……」)。

排除を好む連中は、左翼が元気だからこそ右翼が存在できるのだということを理解していない。それどころか、そもそもの大前提である思想の多様性自体を否定しようとする。そのくせ三島のように、自分たちの思想に命を賭ける度量もない。せいぜいで匿名でネットに「パヨクはうんぬん」と書き込み、日常の憂さを晴らす程度である。


鈴木邦男が立場の異なるさまざまな人々と交流する理由は、多様性がなければ無だ、ということを主張したいからではないか? 否定と排除に対し、批判と尊重を取り戻したいからではないか?

鈴木の行動をひと言で表現すれば、融通無碍である。すべてを受け入れつつも、おのれを失わないということである。

恥ずかしながら私は、鈴木邦男の著作を読んだことがない(三島もほんのちょっと学んだだけ)。しかし、この映画は、そういう人間にも充分に彼の真骨頂を伝えるのである。

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