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なんのちゃんの第二次世界大戦 (2020)

監督
河合健
  • みたいムービー 19
  • みたログ 15

3.00 / 評価:10件

ミッシングピースを諦めて

  • dem******** さん
  • 2021年7月20日 1時41分
  • 閲覧数 138
  • 役立ち度 0
    • 総合評価
    • ★★★★★

平和祈念館の建設を目論む市長に届けられたのは竹槍少女の石像の頭部。
そんな冒頭シーンに始まり、セレモニーや児童劇のシーンで拍手を送る観客の頭部は巧妙にフレームの外に置かれる。誰の賛意でこの世界は動いているのだろうか?
平和祈念館を作る市長の祖父は戦中に国民学校で軍国教育をしていたにも拘らず平和祈念館のシンボルに祀り上げられる元教師の高齢者。戦犯として処刑されたなんのちゃんの祖父へ大きな影響を与えた人物だ。なんのちゃんの祖母からすれば、夫や自分に大きな影響を与えたが故、憎しみや尊敬と言った事では割り切れない感情を抱く対象であろう事は想像に難くない。
世間の空気が平和を求めるなら平和祈念館を、世間の空気が戦さを求めるなら軍国教育を、そんな風潮に背中を向けるなんのちゃん一族の覚めた大人気なさ(!)が魅力と言って良い映画だろう。
竹槍少女が捏造された反戦のイメージと捉えられてしまったように、なんのちゃんを単純に偽りの平和運動を告発するイメージとして捉えてはなるまい。首を失った像もフレームから首の上を切り取られたなんのちゃんも換喩として機能している。平和運動を印象操作として掲げつつ戦後一貫してアメリカの戦争を支持して来た私たちそのもののイメージこそが首を失った群衆のように得体の知れないものと見做して良いのではないだろうか。とは言え映画は登場する全ての人物を揶揄するでもなくユーモラスに描いている。
私たちは現実とは異なる映画と言う虚構の世界にメッセージや物語を要求してしまいがちだ(自らの得体の知れなさを棚に上げて)。映画のメッセージはこの様なものだとミッシングピースを自らの頭の中で補いスクリーンに映らなかった物語を作り上げてしまう(そしてそうする事で自分の印象を他人に向けて操作する)。首の無い人物の全体像が描けなければ落ち着かないとでも言うように。「なんのちゃんの第二次世界大戦」は全てのピースが揃わなくても、いや寧ろ揃わないから映画って楽しいのだよと伝えてくれる。
宙吊りの状態に耐えながら、亀や子どもや老人、果ては保身に躍起な大人たちと言った自らが認識し得る世界の外を知らない生き物たちが絡み合って複雑に蠢く訳のわからなさをあるがままに体験させてくれる稀有な映画なのだ。

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