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僕が跳びはねる理由
2021年4月2日公開

僕が跳びはねる理由

THE REASON I JUMP

822021年4月2日公開

ベル邸

1.0

ネタバレ「東田直樹さん」の映画【*訂正部 4/10】

やたら「FC」のことを語っていますが、理由は下記ブログに書いています。https://ameblo.jp/othello-iago/entry-12665576566.html ――  まずは映画の構成について紹介しておこう。基本は4組の自閉症者たちを順に紹介するオムニバス形式…なのだが、行きつ戻りつする部分もあり。  さて、自閉症者を紹介していくシークエンスの一番目はアムリットさん。話さなくても日々の出来事を鉛筆と水彩(かな?)で描くのがとても得意というお話。  二番目のシークエンスはジョスさん(金髪の青年)。  個人的にはジョスさんのシークエンスが一番、自閉症者のドキュメンタリーとしては「赤裸々」であるように感じました。『良い』ことも、『悪い』ことも、しっかりと見せている感じ。  いわゆる『こだわり』の強さ。エコラリア的な会話。怒って暴れる昔の映像まであえて出している。それをありにまま見せることの大切さをご両親は考えているのかな、と思いました。  三番目のシークエンスに登場するのはエマさん(茶色の髪の女性)とベンさん(メガネの男性)。問題のFCがかなり前面に押し出されている。(全てではないけれど)  好きなことをしているときはあんなにニコニコ笑顔のエマさんが、FCをやり始めるとすぐに辛そうな顔になるのは私にとってショッキングな光景だった。  特に衝撃があったのはエマさんがベンチでFCをしたある場面、突然エマさんが大声で「もう終わり!」というようなことを 口頭で 言って(日本語字幕も出て)、その場面は終わる。  その「もう終わり」の字幕を見た瞬間、私はハッとした。さっきからエマさんが何かブツブツ言っているなとは思っていたが、私は英語が不得手なのでその内容に気付いていなかった。  その言葉はおそらく「ノーモア(no more)」だったのだ。  「…ノーモア…ノーモア…ノーモア!!!」の*最後だけが聞き入れられたのだ*。  彼女は自分の口で言ってた。もう嫌だ!!と。  この場面で、左に座って文字盤を持っているファシリテーターは明らかにエマさんに『キュー出し』をしていると感じた。詳しくは以下の通りだ。 https://twitter.com/berutei/status/1379018648480751620  私がこれに気付いたのは、たまたま予習していたというのが大きいと思う。タネを知っている手品を見るような感覚だった。 https://saltboxcomic.blog.jp/archives/28020779.html  この場面は映画の演出上、つい字幕を見てしまうところだと思うのだが、あえて介助者の手元とエマさんの辛そうな様子にも目を向けてみてほしい。  さて、エマさん絡みでもう一つ。彼女の発言した言葉に字幕が付かない箇所があった。  ベンさんと二人でアルゼンチンについて勉強しているところで、FC(文字盤)を終えた後にエマさんが「アイスクリーム!」とか何か、私にも少し聞き取れる単語を言ったのだ。  しかし、そのとき字幕は表示されなかった。  あたかもそれは、発言として認識しなくていいノイズであるかのように。  四番目はシエラレオネ共和国のシークエンス。ここは自閉症というよりも、様々な種類の障害児者とその家族らの団結・闘いといった様相だ。  障害児を産むと「悪魔憑きだ!」「母親は魔女だ!」と言われる世界。それでも折れずに偏見に立ち向かおうとする人々の強い姿を見せてくる。  次は随所に挟まれるナレーション(おそらく東田直樹さんの著作からの引用)について語ろう。あくまで私の個人的感想である。正直な感想を述べることをどうか許していただきたい。  東田さんの文章は、掛け値なしに言えば、とても薄っぺらく感じた。どこかで聞いたような、綺麗っぽい言葉の羅列で、肌に迫るものを感じなかった。  最後に、「東田直樹さん」の主張のよく分からなさについて触れたい。  彼の著作ナレーションは、内容を私が受け取った限りでまとめると、「自閉症者は内面には知性があって普通の人と同じような言葉も表現できるけれど、一方で独特な感性があって豊かに自然を感じるから、それで奇矯にも見える行動を取っているわけなのですが、自分の体は壊れたロボットのように不自由で思い通りに動けない、それゆえ奇矯な振る舞いもしてしまうのです」と語っている。  つまり……どういうことだ!? 結局、感性通りに動けるのか? 動けないのか? その行動は本心なのか? 本心じゃないのか? その時々で違うのか?  これははっきり言ってしまえば、ツギハギして作った設定が矛盾を起こしているのだろう。  私が思うに、壊れたロボットか、豊かな感性ゆえに奇矯に見えてしまうのか、どちらかの設定を捨てた方が矛盾がなくなってスッキリすると思う。でも、人気になって浸透してしまった今更、設定を変更することはできないのだろう。  「東田直樹さん」はこれからもそうして生き続け、生かされ続けるのだろうか。

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