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メインストリーム
2021年10月8日公開

メインストリーム

MAINSTREAM

942021年10月8日公開

Dr.Hawk

3.0

ネタバレ人生の充実は結局恋愛、という軽めの話

2021.10.11 字幕 MOVIX京都 2020年のアメリカ映画(94分、G) SNSでバズりたい女性が街角のパフォーマーと友人を巻き込んで成り上がろうとするコメディ映画 監督はジア・コポッラ 脚本はジア・コッポラ&トム・スチュアート 原題の『Mainstream』は「本流」という意味 物語はハリウッドのコメディバー「マジック・アレー」にて、バーテンダーをしているフランキー(マヤ・ホーク)が描かれて始まる 彼女が務めているバーでは夜な夜なうだつの上がらないパフォーマーたちが客に芸を披露していた フランキーはそこの常連パフォーマー・ジュディ(コリーン・キャンプ)のお気に入りで、いつも赤ん坊の着ぐるみを着せられてパフォーマンスのお手伝いをさせられていた そこには友人のジェイク(ナット・ウルフ)もいて、彼は作家志望でありながら、時折自作の歌をピアノで弾き語って披露していた ある日、街角でネズミの被り物をしていたパフォーマーを見つけたフランキー 路上のアートを撮るふりをしながらフレームに彼を入れると、パフォーマーは彼女の元へ近づいてきた ネズミの着ぐるみを脱いだ男はリンク(アンドリュー・ガーフィールド)と名乗り自説を展開する その話が面白いと感じたフランキーは彼の動画を撮って、それを勝手にYouTubeにアップするのであった 動画は彼女の実績とは比べ物にならないくらいにバズり、フランキーは本格的に動画投稿をしないかとリンクに持ちかける 友人のジェイクも交えて動画の骨子を作り、テーマを「SNSと自意識」に定めて、様々なパフォマンスを手がけていくのである 物語は「わかりやすいSNSの成り上がり」を描く前半と、ある事件を機に不破が生じる3人を描いていく中盤があり、そして決別を描く後半へと繋がっていく インフルエンサーとは「影響力のある配信者」を意味するが、彼らと一般投稿者の違いは何かというものを描いている リンクには一応の哲学というものがあり、それがパフォーマンスに乗ったことで映えるのだが、そこからの本流に至っては「いいね欲しさに暴走する」といういつものパターンへと転落していく その最たるエピソードが「インスタグラマー・イザベル(アレクサー・デミー)の素顔を晒す騒動」であった リンクは言葉巧みに会場の同調圧力を使いながらイザベルを追い込んでいく そうして公開された素顔の写真とそれを公開に置き込んだ動画は拡散されていく フランキーはここで一線を超えて、あたかもイザベルが自分の意思でボタンを押したように編集し、のちに「無修正版」がネットに流れるようになったのである ジェイクが降りたのはイザベルの公開処刑で、フランキーが降りたのはイザベルの自殺報道である リンクはイザベルを自殺に追い込んだのは自分だけではないと主張し、「いいねを押したり、誹謗中傷をする名もなき一般人も同罪だ」と訴える そして、自分自身が受け入れられるかを番組で問う オーディエンスはリンクを支持し、そしてニヤついた笑顔を見せたリンクのアップで映画はエンドロールへと向かうのであった 映画内で言及されていないものの、イザベルの無修正版をネットに流したのはリンクであり、フランキーはジェイクの仕業だと思い込んでいた ジェイクの本心を聞いて、心を入れ替えたフランキーだったが、動き出した歯車は止められやしない フランキーはリンクに「止められなくてごめん」と謝るものの、リンクにとってはそれら全てが自分の活動の一環だったのである インフルエンサーと一般人の違いは「他人の感情を力に変えられるかどうか」であると思う いいねも誹謗中傷も全て「閲覧者の反応」であり、その内容を問わずに「反応を糧にできるかどうか」にかかっている フランキーはイザベルが死んだ責任を痛感するものの、リンクはそれすらも「養分」だと思っている そして、聴衆もまた「自分の暇を埋めるネタ」として割り切り、そこに道徳や倫理は存在しないのである いずれにせよ、境界線の向こう側を描いたことは評価できるものの、それほど斬新な内容になっていないのは残念なところである 演出や映像に凝ってはいるものの、それが効果的とは思えず、結局色恋沙汰に落ち着いてしまうシナリオには価値がないと思える フランキーの枯渇は結局のところ自分に向けらえる正の感情だけであり、それがジェイクから向けられればその他の承認欲求は全て忘れ去られる 裏を返せば、恋愛意外に承認欲求を求めるということは、誰からも愛されていないと思い込んでいる状況があるということである 自分に対する承認欲求において、そこに不安が生じる弱さを覆い隠すものがSNSだったりもするので、その依存があるということは「他人の感情でしか自分の空白を埋められない」と告白しているのと同義なのではないだろうか

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