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オペラハット

オペラハット

MR. DEEDS GOES TO TOWN

115

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4.0

無垢から意志へ

1936年。フランク・キャプラ監督。田舎で暮していたディード(ゲイリー・クーパー)の元に大富豪の叔父の遺産が舞い込んだ。ニューヨークに向かう彼だが、叔父の会社の経理を任されていた会社は背任行為をしているし、新聞社は彼の一挙手一投足に目を光らしている。唯一気を許した女性(ジーン・アーサー)も実は敏腕女性記者だと分かり、、、という話。3年後の「スミス、都へ行く」で驚くほど正確に反復される、善良な男の上京。間に立つ女性への信頼、裏切り、結末の幸福。アメリカ建国の偉人たちへのオマージュ。そして両方に同じような役割ででているジーン・スミス。 それにしてもゲイリー・クーバーの田舎者ぶりは堂に入っています。デカイ図体で詩を作り(自然派のソローを暗誦したりもする)、チューバを弾き、気に食わないとすぐ殴る。さらには想像上の女性を作り上げて語りかけたりしている。田舎は田舎で隠微な力関係と視線が交錯しているのだから、田舎者というよりも「無垢」な男です。そして彼はその「無垢」な姿がバカにされていることをきちんと意識してわざとやっている。なぜならその「無垢」こそ人々の善意を信じる民主主義の真髄だからです。 「スミス、都へ行く」同様、アメリカを成り立たせている相互扶助と民主主義への信頼。彼の「無垢」は狂気として告発され裁判になるのですが、彼は裁判官や告発する者たちの側の無垢なもの(無意識の癖)をいちいち指摘して回り、無垢=狂気ではないこと、無垢で善良な心こそがアメリカであることを証明しています。本当に無垢な男にはできない芸当です。 隠された、または気付かれない「無垢」なものすべてを法廷で明らかにすること。疑いを知らない受動的な「無垢」から一歩進んで、すべてを白日の下にさらすという「意志」へ。「無垢」なものを擁護するこの「意志」にたどり着くことが、この映画の主人公が示しているアメリカ人のあるべき姿ということらしいです。

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