女と男のいる舗道

VIVRE SA VIE/IT'S MY LIFE/MY LIFE TO LIVE

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女と男のいる舗道
3.6

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作品情報上映スケジュールレビュー

作品レビュー(23件)

切ない16.7%知的14.6%セクシー12.5%かわいい12.5%悲しい8.3%

  • 更生施設勤務柳澤

    1.0

    西落合1-18-18 更生施設けやき荘

    西落合1-18-18 更生施設けやき荘勤務の柳澤明美は、入居者間で嫌がらせが起こると双方の言い分を聞かずに「書類上」軽度の記述がある者の言い分のみ鵜呑みにし、施設内で嫌がらせや虐めが起こると 施設内で嫌がらせや虐めが行われている事は承知しながらも対処したくないばかりに「ないもの」と決めつけて嫌がらせの結果入居者が感情的になってしまった際「チラリ」とも「嫌がらせの結果かもしれない」という発想にはならず(偏見から)警察を呼び経緯を正確に説明しない。 又、「そもそも経緯を正確に理解していない(部屋内での嫌がらせは把握していない)」当然正確に理解していないものは、正確に説明する事が出来ず 事実とは異なる説明を警察に対して行う。 このような間違った対処をして就労間近だった入居者(かつての)を数年に渡って引きこもり状態に追い込む程の精神的苦痛を与えた上で謝罪さえしない「本物の鬼畜」

  • tk

    3.0

    アンナ・カリーナが美しい

    福島県いわき市、「まちポレいわき」にて鑑賞。 数年前に都内で上映された「ミシェル・ルグランとヌーヴェル・ヴァーグの監督たち」のうちの数本を上映していた。 「女と男のいる舗道」については、4Kデジタルリマスター版となっている。 ゴダール作品は、すべてとは言わないまでもほとんどの作品は観ている。 60年代作品は、ほぼ、20代前半に観たはずである。 だが、「女と男のいる舗道」に関しては、あまり鮮烈な記憶がない。 観たはずではあるのだが、特別なシーンも思い出せず印象が薄い。 ワタシにとっては、そんな映画であった。 このご時世、映画館で過去のゴダール作品を観られるというだけでも幸せだ。 福島県に近い茨城県北部の人間にとっては、東京での上映には、行くことができなかったものの、こうしていわき市にて上映されるというのは、とてもありがたい。 ワタシのために上映してくれるとも言えるわけで、行かない理由は見当たらない。 かつて、東京駅近くに八重洲スター座という小さい名画座が存在し、そこでゴダール作品を数多くみた。 たしか、50席程度の映画館であったと記憶するが、この「まちポレいわき」もスクリーンはいくつかあるものの、席数からすれば同程度であった。 もっとも、コロナウィルス対策で、座席制限を設けており、実際には、20名ほどしか入れないようになっていた。 平日ということもあり、ワタシ以外には客は2名ほどであった。 都内であれば、ゴダール作品とはいえ、もっと多くの客が訪れることであろう。 しかし、ゴダール作品は数名で観る方がその作品の性質に合致しているといえる。 余談が長くなった。 この作品自体はどうであったか? 率直に、わかりにくい作品であった。 まず、ストーリーはわかりやすいが、カメラワークがどうにも常識ハズレの箇所がある。 ゴダールに常識などない!と言われそうだが、この時期のゴダールはまだ「まっとうな映画」であっても驚きはしない。 話をしている人物を撮っていたかと思えば、まだ話が終わらぬままなぜかカメラが動きだし、窓の外にパンしはじめる。 予定調和に終わらせないのはゴダールらしさなのだが、別にそこまでしなくても・・・というカメラワークが多いような気がした。 それで、結局は、この映画について、何を書けばよいのか? ・・・どうにも難しい。 いいとも言えないし、悪いとも言えない。 評価が非常に難しい映画だ。 だが、これほど、アンナ・カリーナのアップの多い映画もなかったはずだ。 この映画が原因で、ゴダールとアンナ・カリーナは別れた。 「彼女(アンナ・カリーナ)はあとでカンカンに怒っていました。わざと醜く撮られたと思ったからです・・・・・この映画をつくることによって、私が彼女にきわめて大きな打撃を与えたと思ったからです。そしてそれが、われわれの破局の発端になりました。」(ちくま学芸文庫「ゴダール映画史(全)」p143・) 売春婦を演ずるということが、屈辱的だったのか、その撮影方法に怒ったのか、そのあたりは定かではない。 ただ、アンナ・カリーナが言うこととは相反し、この映画のアンナ・カリーナはとても美しい。 4Kリマスターになって、さらに美しくなったと感じる。 「アンナ・カリーナが美しい」これだけでこの映画を観る価値は充分にある。

  • hsa********

    5.0

    キャッチーなゴダール

    映画史的な重要性にも関わらず、そのめんどくささやつまらなさから虐げられている感のある少数派映画のヌーベルバーグだが、年々見る価値がない作品の大洪水のなかでいぶし銀の魅力は増すばかりだ。 ゴダールにしては見易い部類に入るこの作品は人類の永遠のタブーといえる買売春がテーマだ。 数多くの女性と寝た男が性豪となり、数多くの男と寝た女性がバイタとなる、性差別、男尊女卑が根底に横たわる。 相当強烈な溝口の遺作、赤線地帯、をゴダール流に翻訳しつつ、かなりソフィスティケイトされた作品。 ゴダールらしく娼婦の映画をドライヤーのように撮れないか模索しつつ、グリフィスにたどり着こうとする試み。 ゴダール作品の魅力はは一貫して、グリフィスまで遡行できるかを問う遡行力にある。 また映画史上初めて、小説より哲学書のほうが面白いと宣言した勇気にある。 ゴダール理解には二重三重に頭のなかの常識の転換が必要なのだが、一貫していえるのは美学的な単純さと感知しずらいが、底辺に流れる愛情だ。 アザトイとよく言われるカメラワークもほとんど長回しで、ショットの単純さはキープされているのだ。 この単純さがイワユル意味や物語に脳を犯されている人にはワカラナイのだ。 信仰さえ否定しえないこの単純さがスゴイのだ。 いずれにしろ、ゴダールを模倣した者がことごとく失敗するのも、テレビなどなどでゴダール的な編集が氾濫するのも同じ理由だ。 グリフィスまで遡行しようとする意欲的な作家はゴダール一人しかいないのだ。

  • 柚子

    4.0

    娼婦と哲学

    娼婦に身を落とす、元女優ナナ… (あらすじだけ読むと、ゾラかしらんって(^-^;) 50年代のフランス娼婦の仕組みが、勉強になった(^-^; 人間の心理とか、的を得ていて、妙に納得 娼婦の顛末も、あんなもんだろうね

  • fg9********

    5.0

    あるがままに見ればいいのよ

     …普段はWOW〇〇を中心に映画を愉しんでいるが、初回放送もので面白そうな作品がないので、溜め置いたBD(2000作以上)から無作為にチョイスして観てみた。  …今から半世紀以上も前の1962年のJ=L・ゴダール監督のモノクロ作品だ。  …あらすじは解説のとおりと書こうと思ったら空欄だった。  レコード店の店員ナナ(アンナ・カリーナ)は下宿の家賃を払えず、パリの街角に立って売春をするようになる。  やがて再会した旧友からラウールという男性を紹介され、ナナは彼をポン引きとするプロの売春婦に転業していく。  ラウールがその売り上げを稼ぐ一方、ナナは偶然から知り合った青年にひと目惚れしてしまうのだが……。  …製作当時のゴダールの愛妻だったショートヘアーのアンナ・カリーナの魅力が全開の逸品だ。  映画『裁かるるジャンヌ』を観ながら、アンナが流す涙の美しさは譬えようもない。  また、履歴書を書く場面では、自分の身長を書く折に、自分の手幅で身長を計るシーンはなんとも愛らしい(169cm)。  終盤の老哲学者との会話では、『誤りと嘘に大した違いはない。  5時に来ると言って来ないのはトリックだ。  微妙な嘘というのは、ほとんど誤りに近い。』という言葉は印象に残った。  そして、何よりも心に響いたのは、アンナ自らが語る次の言葉だ。  『自由だから、すべてに責任があると思う。  手をあげるのも私の責任。  右を向くのも私の責任。  不幸になるのも私の責任。  タバコを吸うのも私の責任。  目をつぶるのも私の責任。  責任を忘れるのも私の責任。  逃げたいと思うのも私の責任。  でも、すべてが素敵なのよ。  素敵だと思えばいいのよ。  あるがままに見ればいいのよ。  顔は顔。  お皿はお皿。  人間は人間。  人生は人生。』  ゴダール監督のアンナ・カリーナへの愛情がヒシヒシと伝わって来る逸品だった。  しかし、結末はなんとも言い難く……だけにとどめておこう……。  ミシェル・ルグランの音楽も哀感を誘い印象的だった。

スタッフ・キャスト

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受賞歴

ヴェネチア国際映画祭第23回

審査員特別賞

基本情報


タイトル
女と男のいる舗道

原題
VIVRE SA VIE/IT'S MY LIFE/MY LIFE TO LIVE

上映時間

製作国
フランス

製作年度

公開日
-

ジャンル