5.0点
反戦を訴えたければ戦争そのものを描いてはならない。 これって常識だと思っていたんですけど、違うんですかね。 若い頃に触れた考え方で、咀嚼し飲み込むまでに時間がかかりましたが、 すでに私の血となり骨となっている。 戦争を直接描けば、その一部なりとも認めることとなってしまう。 例えば兵器には機能美があり、抗しがたい魅力を放つ。 あるいは猛々しい戦闘シーンには、一定の高揚感が認められたりする。 従って戦争を完全に否定するためには、 戦争そのものの描写を一切排除することが不可欠となる。 極論ですけどね、突き詰めて考えればそうなる、ということ。 『かくも長き不在』は、その好例とされる映画史に残る一本。 ナチスから解放されて久しいバカンス期のパリを舞台に、 戦争が何と無残に人々を引き裂くか、余す事なく炙り出す。 幾重もの謎を秘めて物語は静かに進行する。 小さなカフェの女主人は、なぜバカンスに乗り気でないのか。 閑散とした街に突如姿を現した浮浪の男は何者なのか。 やがてカフェの女給が男を指して呟いた一言が、事態を一変させる。 「あの人、警官が怖いのよ。」 男には記憶がなく、名前すら定かではない。 女主人は男の後を追い、歩いて、歩いて、歩き続けて、 ついに河畔の粗末な塒を突き止め、男をジッと見つめ続ける。 この「見つめる」という行為自体が極めて映画的だ。 主演アリダ・ヴァリの刺すような強い眼差しに導かれ、 観客もまた男の顔を、手を、一挙一動を、眼で追い続けずにはいられない。 この人物は本当に、生き別れた夫なのか、と。 終盤、女主人は男を自分のカフェに招き、本格的なディナーを振舞う。 男の好きなオペラを聴き、思い出の曲で一緒にステップを踏み……。 昨今の丸出し演出に慣れた目には、随分と抑制的な表現と映るかな。 私が本作で最も気に入っているのは、この場面の裏の展開。 素性の知れない浮浪者を自宅に招いた女主人を気遣って、 近所の人たちが皆んなでこっそり様子をうかがっているところ。 まるで落語に出てくる長屋の面々といった風情だ。 パリっ子にも人情がある。 言葉や文化が違っても、人間は深い根っこの部分で繋がっているのだ。 だが皮肉な事に、この人情が最終局面でアダとなる。 果たして男は記憶を取り戻すのか。 女主人の願いは、即ち観客の願いは天に届くのか。 サスペンスは最後の瞬間まで持続する。 男の身に一体何があったのか、誰の目にも明らかになっていく行は 一種のダブル・クライマックスを形成し、畳み掛けるように感情を揺さぶる。 下手に回想など挟まないのが上策で、本作の価値をグンと押し上げている。 私の中ではトップ10の第二席を占める大切な作品。 今回初めて、映画館の大スクリーンで観る機会を得た。 お終いの方では身体に震えがきてアワアワとなってしまった。 TVサイズでは何度か観て、結末も何もかも分かっているはずなのに。 やはりスクリーンで観る効果は絶大である。 映画は映画館で観ないと、死ぬ。 その思いを強くした、本年弥生上旬の得難い体験であった。 チャンスをくれた池袋の名館に感謝。