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カミーユ・クローデル (1988)

CAMILLE CLAUDEL

監督
ブルーノ・ニュイッテン
  • みたいムービー 75
  • みたログ 248

4.22 / 評価:69件

あんまり実話と信じすぎない方が

  • cyborg_she_loves_me さん
  • 2018年2月2日 14時01分
  • 閲覧数 1535
  • 役立ち度 6
    • 総合評価
    • ★★★★★

  これ、映画としての作りは、あんまりよくない部類に入ると私は思います。この映画が与える衝撃の大部分は、これが「実話」であるというこちら側の意識に由来するものだと思います。そして、実話と言っても、情報源は「弟の孫」という相当に間接的なものであり、加えて、映画である以上かなりの脚色が必ず加わっていることを考えれば、これを丸ごと史実として受け取ってしまうのは、偏りすぎだろうと私は思います。
 というわけで、私なんかはこれを見ながら、実際の事実はどんなふうだったんだろう、とあれこれ想像をめぐらしていたわけですが、そういう想像をめぐらすきっかけを与えてくれたところが、私にとってはこの映画のいちばんの価値でした。

 この映画では、本物の天才はカミーユの方で、ロダンは名声を笠に着て横暴に振舞っているだけで、着想のいいところは全部カミーユからパクってる、みたいな描き方になっていますが、それは発病したカミーユの妄想であって、そのまま史実ではないでしょう。
 カミーユが卓絶した天才であったことには、もちろん一点の疑問の余地もありませんが、彼女に人間の肉体を見る時の「目」を見開かせたのがロダンであることもまた、間違いないことだと思います。もしロダンいなかったら、そして彼女がロダンを愛さなかったら、彼女の天才はあそこまで開花しなかったんじゃないかしら。

 ロダンの「考える人」が、右ひじを左のももに載せた非常に不自然なポーズをとっていることはよく知られています。この映画のロダンも、モデルをまるで「おにぎり」みたいにぎゅうぎゅう押して、筋違いを起こすんじゃないかと思うほど不自然なポーズを取らせておいて、それによって生じる筋肉の盛り上がりやねじれなどを作品に具現しようとします。
 こういうやり方で肉体の美を「創り出す」視点は、まぎれもなくロダンの独創じゃないでしょうか。カミーユがロダンの目でモデルを見ることによって初めて見えてきたものは、決して小さくないと思います。

 この映画を見ていてもうひとつ、考えさせられたのは、芸術家の目でモデルの肉体の美を表現しようとすることと、恋人の目で相手の肉体に欲望を感じることとの間に、明確な一線を引くことはたぶん不可能だろうな、ということです。
 「ロダンは女たらしだから気をつけろ」というシーンからこの映画は始まりますが、モデルの肉体の美を極限まで表現しようとする芸術家が、その肉体の持主に恋愛の情をまったく抱かずにいることって、たぶん不可能なんじゃないかしら。
 肉体美を追及する芸術家は必然的に、恋多き人にならずにいられないんだろうなと思います。そしてその恋の相手が、ロダンのような超弩級の天才であり、有名人であり、そして横暴な独裁者的人物でもあったところに、カミーユの悲劇があったのだと思います。

 以上は物語についてでした。
 映画の作りとしてはこの作品、私は気に入らないところが多かったです。暗くて何が起こっているかわかりにくいシーンが多いこと。ところどころ物語のつながりがわかりにくくて、「なんじゃこれ?」と思って画面を止めてウェブで色々調べてからまた見始める、ということを何回かやったこと(単に私の物分りが悪いだけ、と言われればそれまでですが)。ウィキペディアにかなり詳しいあらすじが出てたのがありがたかったです。

 それにしても、カミーユの肖像写真を見たら、イザベル・アジャーニさんにそっくりですね。狂気の女を演ずる機会の多い彼女ですが、中でも一番のハマリ役といえましょう。迫真の演技だと思います。

詳細評価

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