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仮面/ペルソナ (1966)

PERSONA

監督
イングマール・ベルイマン
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  • みたログ 206

3.86 / 評価:117件

映写行為のもとに浮かび上がるペルソナの美

  • le_******** さん
  • 2020年3月5日 10時24分
  • 役立ち度 2
    • 総合評価
    • ★★★★★

舞台女優のエリーザベト(リヴ・ウルマン)は、突如、言葉を発することができなくなり、失語症となってしまう。主治医の女医(マルガレータ・クルーク)は、看護師アルマ(ビビ・アンデショーン)を選び、エリーザベトに付きっきりで看病するよう伝える。
入院しているままではよくならないと判断し、主治医は、二人を、海岸近くにある自分の別荘で過ごすように言う。別荘で、アルマは、落ち込んでいるエリーザベトに元気を出してもらうよう、いろいろ話すうち、徐々に、自分の身の上話をするようになっていく・・・

エリーザベトは、女優として評価され、家庭でも、良き妻、良き母であったが、実際には、すべて演技であって、演ずることに疲れて言葉を発せられなくなっている。
アルマは、献身的な看護婦として、その疲れを取り除こうとするが、海岸暮らしになってから、買い物ついでにエリーザベトの手紙を預かったとき、封をしていないその手紙を見て、愕然とし、憤る。その手紙は主治医に宛てられたものだったが、自分が話せないぶん、アルマはその夫や子についてなどプライベートなことまでよく話し、それを観察しているのはおもしろい、といった趣旨の内容であった。

帰ると、アルマは、口の利けないエリーザベトに対し暴力をはたらき、ちょっとした掴み合いまでするが、その後、我に返り、そうした二面性をもっているエリーザベトを見直し、アルマは、自身も、そうした二面性を使いわけできるのではないか、と思うようになる。

別荘での二人の生活は、患者と看護婦というより、ややもすると、慕い合う女同士、或いは、同性愛にも近いような間柄となっていた。
やがて、二人は街に戻り、エリーザベトは女優の仕事を再開させ、アルマも看護師の仕事に戻ることが暗示されて終わる。
アルマは、エリーザベトの身の上に似た部分を見出したため、終盤で、アルマがエリーザベトと呼ばれ、会話上、エリーザベトに入れ替わるシーンがある。

教訓めいた話や哲学的な台詞は一切ないかわりに、<恐れ>というキーワードの周囲をぐるぐる回る女二人の、実際にはアルマという女一人の台詞が中心となる、舞台劇のような映画である。問わず語りに語られるアルマの台詞は、シーンごとに変化し、やがて身の上話につながり、ひとり笑ったり泣いたりする。エリーザベトはその表情だけを見せる。
しかし、時間の進むうち、エリーザベトはアルマの聞き役である主治医になり、アルマはまさに患者と化している。手紙の一件は、アルマが自らの立場を再認識するきっかけともなっており、だからこそ、一旦は興奮し意地悪いこともするが、すぐ冷静になり、自身も「仮面をつけた幸福なありよう」、を探るのである。

カメラワークに特異なものはないが、海岸や別荘のロケ以外でのセットが興味深い。病院の中であっても、ほとんどそれらしい什器や備品、薬品棚といったものはなく、ベッドと壁、アルマの白衣しか、病院内を推定させるものはない。二人の女優それぞれのアップやツーショットのアップでのシーンが多いのは、内面心理を課題とする映画として、フレーム内に余計な事物を入れるのを避けたからだろう。

室内の光景として、ベッドでアルマが休んでいるところに、エリーザベトが近寄り、遠ざかり、また近寄って肌を触れ合うシーンは象徴的であり、絹のようなカーテンの揺らぎとともに、同性愛をも思わせる美しいシーンである。

冒頭とラストは、エリーザベトの子を象徴していると思われる少年が登場し、メガネをかけたあと、向こうのスクリーンに映るぼやけた母親の顔を、手で撫でている。
冒頭では、そのシーンにいたる前に、オープニングからタイトルが出るまで、不吉な音響とともに、さまざまなイマージュのカットが流される。映写機のフィルムが回され、フィルムが弛む映像のあとに、古いアニメ、サイレントと思われる映画、巨大な蜘蛛、男根などが、瞬時に映ったり静止したりし、釘を打たれた手のシーンのあとに、壁、木立、建物、寝ている老婆などを映し、音声からそれが病院内であることを想像させ、少年が白いシーツ一枚を羽織って寝ている姿で落ち着く。

この支離滅裂にみえる映像の断片は、これこそ、人間が、実際に、ペルソナ(仮面)によって、うまく賢く隠している人間界のリアリティなのだ、と言わんばかりであるが、これとて、観終わってから冒頭に遡って付与できる一つの意味でしかない。そうだとすれば、本作品は、映写行為のもとに描かれたペルソナの美と解釈できる。
こうしたリアリティは、エリーザベトが見るテレビの映像としても強調されている。焼身自殺を図る僧侶のニュース映像、アラン・レネの『夜と霧』(1955年)の有名なひとコマが、エリーザベトの心の表象として挿入されている。

本作品には、神や超自然、SF的要素、といったものはない。同じ地面に立つ人間の物語である。

詳細評価

物語
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演出
映像
音楽

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