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赤い風車 (1952)

MOULIN ROUGE

監督
ジョン・ヒューストン
  • みたいムービー 7
  • みたログ 104

4.00 / 評価:29件

真実の《ムーラン・ルージュ》を描いた男

  • ser***** さん
  • 2007年5月23日 0時55分
  • 閲覧数 584
  • 役立ち度 18
    • 総合評価
    • ★★★★★

 先日、やっとモディリアーニの展覧会へ出かけ感激の嵐に酔いしれ戻ってきた。こんな天才が36歳で生涯を終えたなんて、まったく世の中ってのは理不尽である。長生きしていたらどんな傑作がこの世にもっと残されたのかと思うと、ムダ口レビューを書く私なんか、役立たずのボロキレみたいな存在と今からでも遅くはない、命を交換してやる!と酔っ払った勢いで叫んでみるものの、いかんせん彼が売れたのは死した後。
 まったく後世の人間どもは勝手である。
 生きてるうちに買ってやれよ、絵の一枚ぐらい!(笑)

 で、今回は私が敬愛するもう一人の天才画家、ロートレックの伝記映画。驚く事にこのアンリ・ド・トゥール=ロートレックもまた36歳という若さで死んでいる。モディリアーニもロートレックも、はたまたジェラール・フィリップも、さらには日本の市川雷蔵も36、37という若さで死んだことの驚き。私が愛する人々はどーしてこんなに若死になのか!(ちなみにマックィーンも50歳!若すぎるぞ!)
 ロートレックの絵は印象派などの絵画!という雰囲気とは違い、今で言うポップアートの先駆け的な作品を描き続けたが、そのほとんどは《ムーラン・ルージュ》を題材にした夜の女達の姿だった。人々から軽蔑の視線を送られる女達を、ロートレックはとても優しい愛情あふれるタッチで綴っている。その理由は彼が《小人》だったせいにある。

 彼は少年時代、足の怪我が原因で成長が止まり、140cmしか身長が伸びなかった。だが体はいたって普通の男。つまりアンバランスな容貌だった。今で言う障害者だ。そんな姿だから、人々は当然言葉とは裏腹に心の中の醜さを彼の前で知らず知らずの中露呈する。伯爵家の出である彼にとってそのプライドが行き着く先は酒と女達。しかもその女達は夜の女達=売春婦や踊り子といった、スネに傷をもつ《同志達》だった。

 さて、こんな風貌をどんな役者が演じたのか。物語よりそんな役者を見つけるのが難しい。だが!これを演じた男がいた。だからこそこの映画が存在する。
 ホセ・ファーラー。「シラノ・ド・ベルジュラック」でオスカーを獲った長身のアクターが、なんと足を胴体に縛りつけ膝に全体重を乗せてこの難しい役柄を見事に演じて見せた。とにかくその史実だけで私は驚き桃の木!

 そんなロートレックの《視点》から見た夜の女達は世間でいう《汚れた女》ではなかった。愛おしく輝く、薄汚れた世界の《天使》だった。差別される人間だからこそ分かるそんな人々の心。ロートレックはそんな女達を描く事で、独自の作風を身につけていったのだ。その落差があればあるほど冴える筆。
 そんな彼にとっての【ムーラン・ルージュ】は派手なだけの世界ではなかった。この映画はそんな20世紀間近のパリの風俗を見事に描き出している。男性派と言われたジョン・ヒューストンの感性とは思えない出来栄え(失礼!)。これに比べるとバズ・ラーマンのあの派手な映画はまさに観客受け狙いのハリボテ映画。あんな映画に感動してる輩にはロートレックの絵の良さなんか死んだって分かりません!当然モディアーニの良さだって分かるはずもない(笑)。

 今やそんな世界は遠く過ぎ去り、この現代にあるのはロートレックの絵に見られる《面影》だけ。派手な世界を描いたはずなのに、その端々に見えるのは何故か物悲しさ。私が彼の絵に惹かれるのは、まさにそんな見えない部分の《歴史》に他ならない。

 てなわけで、今度はどこかでロートレックやらないかなあと(笑)。やったらまたはせ参じて、再び感激の嵐に浸り、酔っ払いながらこの世の儚さに嘆くのだ(笑)。
 
 

 
 

 

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