傑作、両義性映画。
- hsa***** さん
- 2019年9月1日 8時41分
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エドワードヤンの映画の難解さの原因は両義性にあると思う。
その両義性はエドワードヤンが人間を愛しつつ憎んでいるところから来ると思う。同時に、人間を囲む物質の必要性と不必要性がエドワードヤンを苦しめていたのだと思う。
そういう意味でエドワードヤンの映画はとても正直な、素直な映画といえる。
台北ストーリー、恐怖分子は悲劇といえる。クーリンチェは唯一の歴史物であり、悲劇の色彩が強いが映画を創る喜びに溢れていた。恋愛時代とカップルズは、綺麗とはいえない赤と青が使われていて、喜劇へのアプローチが見られるのだが、笑えない。笑えない悲喜劇といった作品になっている。ヤンヤンが喜劇として唯一成功していると思う。
エドワードヤン作品に一貫しているのは、あるアンビバレントな感情で、常に両義性が伴う。一見綺麗な部屋などは雨露をしのぐのに必要であると同時に、そこに住む人を追い詰め、駆り立てるようなものとして描かれていると思う。
人間の罪より環境、物質の罪のほうが重いと考えているフシがある。
ホラー映画でよく言われる、一番怖いのは人間だ、という紋切り型に反抗している気がする。
反ホラー映画。
一番怖いのは環境、ネイチャーだということだ。
いずれにしても、エドワードヤンが残した傑作群が放つ鋭い光は、時間とともに強さを増している。
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