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吸血鬼ノスフェラトゥ (1922)

NOSFERATU: EINE SYMPHONIE DES GRAUENS/NOSFERATU: A SYMPHONY OF TERROR/NOSFERATU: A SYMPHONY OF HORROR/NOSFERATU THE VAMPIRE/TERROR OF DRACULA/DIE ZWOLFTE STUNDE

監督
F・W・ムルナウ
  • みたいムービー 20
  • みたログ 157

3.83 / 評価:40件

難解です

  • cyborg_she_loves_me さん
  • 2017年11月25日 10時24分
  • 閲覧数 686
  • 役立ち度 1
    • 総合評価
    • ★★★★★

 公開当時ドイツではこの映画、映画批評の世界では賛否両論巻き起こして話題になったようですが、興行的には完全な失敗だったらしいです。配給会社は大映画館への配給を拒否し、数少ない小規模映画館で自主上映されただけだったそうな。

 そりゃそうなるだろうなと思います。ものすごくわかりにくいんです。昼・夜の違いがわかりにくいという、多くの方が書かれてる点もそうだし、他にも、この頻繁に出てくる長文の説明をちゃんと気合を入れて読んでいないと、ストーリーが追えなくなって来る。細かいことは気にせず映像に身を任せて気軽に楽しむ、という見方が、できないんです。
 (しかも、余談ですが、この説明書きが、「ヒゲ文字」と日本では俗称されている、現代人にはものすごく読みにくい書体なので、大半の出版物がこの活字を使っていた当時のドイツの観客はこれでよかったでしょうが、他の国には読めなかった人もいたんじゃないかと思います。私が見た英語版もこの書体でした。)

 船のシーンでも、船の水夫やオルロックと並んで、病院のノック、友人宅のエレン、馬で旅するフッター、といった全然違う場所にいる人たちの動きを、細切れにし、まぜこぜにして次々に羅列していくもんだから、それを整理して物語全体の流れをこちらの頭の中に組み立てながら見るのに、けっこう労力が要ります。

  チャップリンの喜劇を始めとして、無声映画だってもっと気楽に楽しめる映画はいくらでもあります。無声映画だから悪いんじゃありません。これを作ったムルナウという人が、映像そのもので何かを表現するのではなく、映像を通じて観客の思考の中に或る世界を浮かび上がらせようとして、この映画を作ってるからそうなるんです。

 単純な娯楽として楽しめる映画ではないですね。しかし、だからこそ、以後の映画製作者たちに限りないインスピレーションと問題提起を与えた作品でもあります。考えながら、想像力を広げながら映画を見るのが好きな方には、おすすめできます。
 単純な娯楽を求める方は、やめておかれた方がいいです。たぶん最初の20分ぐらいでもう眠くなります。

詳細評価

物語
配役
演出
映像
音楽

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