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キング・コング (1933)

KING KONG

監督
メリアン・C・クーパー
アーネスト・B・シュードサック
  • みたいムービー 9
  • みたログ 334

3.75 / 評価:105件

時代の鏡

  • cyborg_she_loves_me さん
  • 2020年6月3日 2時11分
  • 閲覧数 172
  • 役立ち度 1
    • 総合評価
    • ★★★★★

映画も小説も絵画も、人間の創作物はすべて世界観の表現ですけど、怪獣映画はとりわけ、作り手がリアリティに束縛されず自由に空想を広げる分だけ、作り手の世界観がストレートに表われますね。
 ここまで古い映画だと、現代人がこの特撮映像に本気で興奮することはもうありえないわけで、だからこそ見ているこっちは必然的に、当時の時代状況とか、時代独特の世界観とかを読み取るような視点で鑑賞することになります。

 そういう視点に切り替えて見てると、これがなかなか興味深い。

 ひとつは「白人」と「土人」との対比の構図。
 この映画のアメリカ側の登場人物に、(中国人は1人だけ登場しますけど)黒人は1人も登場しない。
 映画製作者のデナムが髑髏島の怪物のことを、「白人が見たこともない代物だ」(something that no white man has ever seen)と言うシーンがあります。白人イコール科学文明の担い手、有色人種イコール迷信・悪霊・怪物にとりつかれた連中、というイメージが厳然とある。
 先史時代の怪物たちといまだに共存している土人たちの世界から、科学文明の最先端にいるアメリカへ、キングコングを突然つれてきたら、どうなるか、という物語です、これは。
 この映画が描いている恐怖は、有色人種の得体の知れなさへの恐怖感でもあります。そしてこの恐怖感は、すぐに差別意識へと転換しうるものでもあります。

 もうひとつは、霊長類・対・爬虫類、という構図。
 髑髏島にいる怪物たちの中で、恐竜や大蛇や翼竜たちは単なる残虐な肉食動物なのに対して、コングは美女を愛し、彼女のためなら体を張って恐竜と戦う優しさを持っている。
 コングがアンを優しくつかんで衣服を1枚1枚はいでいく有名な(エロティックな)シーンがありますが、これは、コングが人間と野獣との対比の構図では人間側に属する存在であることを象徴するシーンです。
 元来は心優しい存在なのに、巨大すぎ、強すぎるがゆえに殺されてしまう悲劇、という作りは、裏を返せば、優しさも知性ももたないただの野獣は殺されて当然だ、という世界観の表現でもあります。

 この映画における女性の描き方も時代を端的に表わしていますね。美女は野獣と共演して映画を売るための道具。アンが生き残れたのは、彼女が美女で、コングの「花嫁」になれたから。
 ちなみにこの映画には、女性は彼女ひとりしか登場しません。少なくとも、台詞のある登場人物としては。

 この映画が公開された1933年は、ヨーロッパではナチスドイツがまさに台頭し始めていたちょうどその時です。
 そういう現代史の一面を考えながら見ると、怪獣映画としての面白さとは別の面白さがまた見えてきます。
 「面白い」という言葉が適切かどうか、わかりませんが。

 この映画に表われている人間観の「かたより」は、はたして当時のアメリカだけのものでしょうか?

詳細評価

物語
配役
演出
映像
音楽

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