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クイズ・ショウ (1994)

QUIZ SHOW

監督
ロバート・レッドフォード
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3.54 / 評価:245件

大衆は結局、何を求めるのか

  • xeno_tofu さん
  • 2019年7月14日 1時45分
  • 閲覧数 244
  • 役立ち度 0
    • 総合評価
    • ★★★★★

本作で描かれるテレビを中心としたメディアに広がる欺瞞以上に、大衆が求める幻影、虚像がまったく変わっていないのではないか思えることに愕然とする。
見栄えするスターを求め、不祥事とあらば有名な成功者の凋落に溜飲を下げ、悔恨の独白に感動を覚える。

映画の舞台は1950年代だが、日本公開は1995年という。映画の中に演出(いくら事実に基づくと言われても、この前提で見るよね)があることも考えれば、60年前とは言えずとも、この20年まったく変わっていないようだ。

チャールズ・ヴァン・ドーレンが担ぎ出されるのは、つまり、現在の勝者ステンペルでは視聴者受けしないからだ。ヴァン・ドーレンは、学者芸術一家の名家に生まれた大学教員、イケメンで博識。「日本人は肩書きに弱い」なんて指摘があるが、これは少なくとも米国人にも共通するようだ。大衆が求めるイメージを勝者にあてはめるために、事前にクイズの問題や解答を明かす不正を犯す。

そして不正が明らかになり、下院立法管理委員会による証人喚問が行われる。調査員のグッドウィンがヴァン・ドーレンの招致する必要はないと主張したように、不正を断つための肝は、テレビ局社長の指示、スポンサーの圧力という構図が明らかにすることだったはずだ。
だが、大衆はスターの弁明を求めた。確かに画面の前にスターとして現れていたのは、他ならぬヴァン・ドーレンだが、不正に巻き込まれた人物であり、その主体ではない。いくら彼の主張を聞いたとて、再発防止にはならない…。

しかも、彼の弁明を受け、賞賛の拍手は何だったのか。委員の一人が批判を加えたので、総意ではないと分かるが、不正した者を許した以上に没落者の懺悔を消費しただけではなかったのか。

ここは深読みかもと思ったが、結末を見れば不幸の消費だけだったという見方は間違っていないのかもしれない。裁かれるべき人はその罪から逃れ、巻き込まれた人物が職を奪われる罰を受けるからだ。結局、「テレビは勝ち残った」。

エンライトの証言では「クイズ番組は娯楽。私たちはショー・ビジネスの人間だ」という趣旨のことが語られる。確かにそうだ。でも、これを求めるのは誰なのか。そして、テレビなんてこんなもんじゃないとニヒリズムに走れば、誰が笑うのか。
そこを考えてほしいと思えた作品だった。

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