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靴みがき (1946)

SCIUSCIA/SHOESHINE

監督
ヴィットリオ・デ・シーカ
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  • みたログ 65

4.05 / 評価:20件

『自転車泥棒』と並ぶ傑作

  • yuki さん
  • 2019年10月27日 1時37分
  • 閲覧数 139
  • 役立ち度 1
    • 総合評価
    • ★★★★★

ヴィットリオ・デ・シーカといえば『自転車泥棒』、本作はそれに比肩する悲劇である。

パスクァーレとジュゼッペは幼いながらも靴磨きで生計を立てている。二人の目標は馬を買うことだったが、ついにその夢がかなった途端、犯罪に巻き込まれ二人して補導されてしまう。同じ少年鑑別所に収容されるが、それぞれ別の雑居房に入れられる。離れ離れになる二人、それにより生まれる猜疑、二人の友情に亀裂が走る。対立は深まりそしてついに悲劇が起こってしまう。

戦後直後のイタリア、貧しく厳しい社会でそれでもたくましく生きようとする少年たちに悲劇が襲う。貧しさという「外部」が次々と不幸を呼び寄せる構成は見ていてとても息苦しい。『自転車泥棒』がそうであったように、登場人物はみな合理的だ。ただその場その場で考えうる最適解と考察を重ねた末に、導かれるように「誤ってしまう」のである。それがデ・シーカの痛切な悲劇性だと思う。

パスクァーレとジュゼッペも鑑別所に行くまでは親友同士だったが、塀の内側で仲違いをしてしまう。それは些細なすれ違いだったが、パスクァーレ・ジュゼッペにとっては大きく重大な真実だったのだ。彼ら二人をすれ違わしたもの、それは歳の差だったのではないだろうか。ジュゼッペは幼いがゆえに、パスクァーレの優しさが理解できない。パスクァーレは聡いがゆえに、ジュゼッペの純真を信じられなかった。もし生まれた時間の差が彼らを引き離したのだとしたら、それは神の決めた命運としか言いようがない。だからこの映画は残酷なのだ。いったい幼い彼ら二人に何が出来ただろう。個を圧倒し飲み込む社会の不条理を描いた本作は、紛れもないネオレアリズモの傑作である。

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