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悪魔の追跡 (1975)

RACE WITH THE DEVIL

監督
ジャック・スターレット
  • みたいムービー 18
  • みたログ 132

3.53 / 評価:58件

40年を経ても“悪魔の追跡”は続く...

  • gypsymoth666 さん
  • 2012年4月22日 0時00分
  • 閲覧数 5516
  • 役立ち度 16
    • 総合評価
    • ★★★★★

小学校時代、風邪と偽り学校を休み、金曜ロードショーの録画を見た時から、約四半世紀が経過する。土曜の昼下がり、同作に再度触れる私。瞬く間に引き込まれたといえばそうではない。浅い脚本と設定が眠気を誘う。しかし宗教団体の儀式のあたりから、あの親への嘘の罪深さとともにブラウン管に食い入った小学生の頃と同様、釘付けとなる…。


バイク会社を経営する二人の主人公・P・フォンダとW・オーツは妻を連れ、キャンピングカーでコロラドに向かう。しかし途中、森の中、フォンダとオーツは、ある儀式の中、女性にナイフが突き立てられる瞬間を目撃してしまう。気づいた儀式の集団はフォンダたちを襲撃する。間一髪逃れるが、その後も愛犬が殺害されるなど奇怪な事件が続出する。彼等は儀式の集団が追跡してきたものと信じ、ショットガンを購入し、対決に臨む…。

製作された70年代中盤は、オーメンやエクソシストなどオカルト映画の繁栄とともに、広大なアメリカの片隅に広がる信仰宗教や、常識を超えた因習を持つコミューンの恐怖など実際の事件にインスパイアされた作品が多く製作された。同作はその流れに便乗しつつ『イージー・ライダー』で自由を求め、バイクでアメリカを渡ったフォンダにバイクに乗らせ、男気で勝負のオーツに銃撃アクションを担当させ、オカルト+スピード+アクション低予算作を目指した。しかし同作に色濃い恐怖は、ポランスキー監督の妻で妊婦のシャロン・テートがチャールズ・マンソンらに虐殺された事件の余韻として広がる。

確かに物語はシンプルだ。そのシンプルさ、またスピード感が、当時小学校生の私をつかんで離さない理由だった。そしていつものようにどこか生気の感じられない、魂が漂うようなフォンダも、頑固で体も硬そうなオーツも本人そのままの雰囲気で、演技など要求されていない自然な風情も、人間ドラマまで踏み込めない幼心を捕らえた要素といえた。

しかし改めて、多分当時のフォンダやオーツの年齢となって同作を通じ感じるのは、なぜ彼等は事件を目撃し、襲撃された時点で、またキャンピングカーがこじあけられ愛犬がドアに吊るされ、殺されていた時点で、自宅に戻ろうとしなかったのか?ということだった。何があっても、襲撃する者からは命を奪っても、休暇の目的地を目指す、そのためにキャンピングカーという一世一代の投資をしたという主人公たちの姿が浮き彫りになる。それはまさに命をはって、西海岸を目指していった彼等開拓者であるアメリカ人の祖先のそのままの姿だ。そしてその土地の土着の文化を知り、おびえるあまり外に間違った情報が伝わらないために、邪魔者は始末するという地域の掟に則り襲撃していく集団(結果、それは主人公たちが通過する、広範囲な地域に住む人々全員が『集団』であることが明らかになるのだが)が、地域を守るためによそ者は消し去るという姿、それは先住民と新住民の対立ともいえる。またイージー・ライダーでは、土着民に銃口を向けられ、青春の終えたヒッピーのフォンダが、同作では善良な一市民として、土着民の襲撃を受ける展開は、新旧の世代間の対立だけではなく、アメリカというあまりに広い世界、他民族間の価値観とコミュニティが凌ぎを削る、境界線は常に緊張感を秘める。それは今でも変わることなく、また9・11以後、より閉鎖的になった姿そのものといえる。

ラスト、無事、危機を、襲撃された地区を脱した主人公たちの車の周りは炎に包まれ、集団に囲まれ、呪文のようなおどろおどろしい声が響き、炎がキャンピングカーを包む空撮のストップモーションで映画は終わる。もう逃げ場所はどこにもない。アメリカには平安な場所などどこにもない-。1975年はベトナム戦争が終結した年でもある。しかし結果、社会に適応できない帰還兵や、この頃から一般的に認知されていく帰還兵士たちが抱えるPTSDが表層化していくことになる。子どもながらにおびえ、呼吸を止めた、このシーンは、今でも私の呼吸を止め、コーヒーカップを握る指先を静止させる力を持ちえる。


この映画が今、深夜でも民放テレビで放映されることはない。それは登場する新興宗教団体が、無差別テロを過去に起した教団を連想させること、動物の殺害場面が虐待的であること、ラストは主人公達の絶望など、理由がありすぎる。タブーを超えることは、良識派の人には嫌悪をもたらす。しかしタブーを解くからこそ、社会の表層からは見えない問題が浮き彫りにされる。それこそ芸術の手段であったはずだった。

ラスト。炎が包むキャンピングカーの静止のシーン。それは1975年から約40年を経た今も変らない。人は変らないということなのか?だからこそ、この時代の映画は色あせることを知らないのだと、改めて考えさせられる。

詳細評価

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