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最前線物語 (1980)

THE BIG RED ONE

監督
サミュエル・フラー
  • みたいムービー 22
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3.47 / 評価:75件

傑作戦争映画

  • bru0 さん
  • 2016年8月25日 22時22分
  • 閲覧数 1514
  • 役立ち度 0
    • 総合評価
    • ★★★★★

圧倒された。久しぶりに☆5つ。
青山真治氏の推薦で鑑賞。

「構成」
物語は北アフリカに始まり、イタリア、ノルマンディー、ドイツ西部、ベルギーの最前線を転戦するアメリカ陸軍歩兵第一師団(ビッグ・レッド・ワン)の話。写実的な話ではなく、それぞれの戦線を身体を持たない天使の視線で描く、オムニバス映画だと思うとよい。主人公の5人は勝利まで傷一つ負わないが、北アフリカ戦線でロンメルの戦車部隊から逃げるときにリー・マービンの軍曹は負傷している。後ろから撃たれているし、部下の兵士が隠れた壕も戦車に踏みつぶされているから、本当はあそこで全員死んでいるのではないか。アフリカ制圧後、遊牧民の服装で現れるマービンも、海岸で無邪気に遊ぶ兵士たちもゴダール『ノートル・ミュジーク』の天国篇のようで、現実感がない。

「おはなし」
オープニングはモノクロで第一次大戦の西部戦線から始まる。マービンはここで休戦を知らずにドイツ兵を殺害してしまい、そのことがトラウマになる。マービンの愚行を涙を流してキリスト像が見つめる。

時代が変わり、第二次大戦。4人の兵士が軍曹に率いられ、揚陸ボートに乗り北アフリカの海岸に上陸する。海岸守備隊はヴィシー・フランスで、マービンは無血で抜けられるかのような話をする。が、実際には撃ち合いになり少なからぬ兵が死亡する。コラボ指揮官が死亡し、「本当は味方だよ、ゴメンね」という浮かれた状態になるのが、観客としては割り切れない。
戦闘終結後の休息で一人輪に入れないグリフ(マーク・ハミル)がこの映画のテーマとなる問いを投げかける。
「なぜ撃たない」→「murder(殺人)はできない」「murderじゃないanimalのkilling(屠殺)だ。そう思え」所変わってドイツ側でも同じセリフが繰り返される。「そうだ。戦争での殺人は罪ではない」
映画の後半では、一発も銃を撃てなかったグリフが笑顔でこのセリフを繰り返す。地獄の戦場で生き残ることで、彼はかつての疑問を忘れてしまった。

一行は智将ロンメル元帥率いるドイツ軍と対峙するために戦線を移動するが、ここで裏をかかれて戦車部隊から逃走するはめになる。
「見たこともない大軍だ!逃げろ!!」とはいったものの後の祭りで、即席の穴を掘って隠れたり走って逃げたりするが、壕を踏みつぶされ、後ろから撃たれ、散々な目にあう。上記のとおり、私はここで軍曹の小隊が全滅したと見ている。戦車の威力は圧倒的で、軍人が戦車を信頼する気持ちがわかる。開けた土地で歩兵が戦車に勝利するのは不可能だ。
自由を信じる気高い精神ではなく、優れた殺人兵器を持つ側が勝利するのだ。

ストーリー上は負傷し気を失ったマービンはドイツ軍の野戦病院で目を醒まし、復活する。ここでキスで彼の目を醒ますのは白雪姫ではなくゲイの軍医。

湾岸戦争は、多国籍軍(米軍)が一方的にイラク軍を殺戮したので、シューティングゲームのように一方的な「ニンテンドー・ウォー(テレビゲーム戦争)」だといわれたが、これとは違った意味で、『最前線物語』はテレビゲーム的である。死を免れて、生を反復しながら目的達成を目指す5人の姿は、残機を減らしながらゲームクリアを目指すプレイヤーの姿そのものだ。

リー・マービンの鬼軍曹は評価が高い。残虐で冷酷だが人情あるこの兵士は『拝啓天皇陛下様』で渥美清が演じた「ヤマショー」とパラレルな存在ではないか?抽象化された現代戦争の兵士はこういうものなのではないか?

後半。敗色濃厚になったドイツ国内。最初からヒトラーを信じていなかった。二人で謀議して手打ちにしよう、自分は城を守りたいし、君は軽傷で後方へ引くことができる、という女領主をナチスの精神が射殺する。
ナチスは軍事力を伴った国家資本であり、ナチ党員はこれに全存在を賭けている。一切の妥協がない人間である反面、彼らが国家行為を行なっていることがわかる。マービンらにはこれがない。悪であっても理念のあるナチスに対して、なぜ地獄の最前線へニコニコしながら何度も赴くのかがわからないのだ。かつては「自由と民主主義のため」というイデオロギーがいわれたが、現在の我々は、米国がこれを守らないことを知っている。国家行為で経済利益を維持拡大しようとしている点ではナチスと変わらないのだ。5人を支えているのはイデオロギーではなく、「なんとなくの常識」としての自然法だといっていい。これは「非アメリカ活動」的なものである。
フラーが描いたのはアメリカ的楽天性である。アメリカ人は鈍重と無自覚を維持し、精神を発見することを拒む。それは暴力と正統性を共存させ、責任追及を拒絶する。残虐行為への無責任(ベトナムへ続く)を演出しながらそれがそれほど不快でないのは、一つには演出が乾いていること、もう一つには俳優たちが皆若く生き生きとしているからだろう。

詳細評価

物語
配役
演出
映像
音楽

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