歌舞伎十八番「鳴神」 美女と怪龍
作品レビュー(2件)
- kyo********
4.0点
何が「もったいないか」というと、この主演をした人が戦前からの共産主義者で、戦後は毛沢東思想に染まって、最後は歌舞伎を捨てたという話があることだ。 平安時代の迷妄の世界がよく描かれているし、役者の演技、はぎれのよいセリフ、日本語の美しさ、振る舞いの奥深さなどを堪能させてくれる。最後の舞台演技は歌舞伎の醍醐味を、歌舞伎から縁遠いものにも感嘆させてくれるほどの素晴らしさだ。 戦前、輸入文化として入ってきた共産主義が日本社会にもたらした根深さをあらためて感じさせられる。それは現在も進行形としてある。 音羽信子の「横目使い」がいい。
- kih********
4.0点
これはいいね。大衆娯楽が、演劇・歌舞伎から新劇・映画に移行する曲がり角、一丁目一番地のような気がする。それは、より楽しく、より易しく、より自由に、という成り行きであったのだろう。この映画は、より自由にという試みではなかったろうか。歌舞伎十八番も、映画にするとこんなに自由に表現できる、楽しくできるという映画の可能性だ。 舞台から抜け出せば、カメラがどこまでも入っていける。それは観客であり演者であり制作者だ。この映画は劇場の舞台中継から入る。ストーリーはそのままに、カメラ(舞台)は屋外に移る。リアルな演技に変わる。終盤になってまた舞台に戻る。見得を切る。 BGMは劇場での楽器で流してあるが、時折西洋音階の楽器が入る。宮中の雅楽まで入る。これが結構新鮮なのだ。自由でもある。言葉遣いだけが、舞台せりふと映画リアルせりふの中間をふらふらする。それも移行期の試みとして楽しい。 演劇史のお勉強として、良いテキストといえる。この際、『鳴神』はどうでもいい。 (どうしてなんだろうね、この欄にレビュー投稿が一本もないというのは、これがテキストであって、映画の作品ではないということかな? でもさ、劇中劇とか、映画作りを題材にした映画とか、一杯あるでしょ?)