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大魔神 (1966)

MAJIN. MONSTER OF TERROR

監督
安田公義
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3.77 / 評価:156件

神への畏怖と権力への服従は同じ

  • igx******** さん
  • 2021年8月5日 15時33分
  • 閲覧数 112
  • 役立ち度 0
    • 総合評価
    • ★★★★★

10年経っても変わらぬ圧政下で「自分が苦役から抜けたら他の者がそれを担う」「苦役が終わらなければ家族に会えない」と自ら連帯責任を負う民の姿は、「我慢してればご褒美が貰える」と隷属する現代人に通じるものがある。
また、亡命した若殿や姫、民に信頼が厚い巫女しのぶは「神の事は私を介しなさい」「神の裁きを受けるぞ」と暴君だけではなく従順な民や若殿、姫を脅しているが、彼女の言動が民を無気力にしたのではないか?と感じた。
暴君が巫女を殺しても大魔神は怒らず、大魔神を恐れない農民の子供と姫様が大魔神を動かしたのが面白い。
農民の子供が大魔神の里に向かう途中、恐ろしい幻に遭うが近付いて見ると正体は枯れ枝。農民の子供が里につくと姫様が穏やかな面持ちで魔神の里に鎮座。「魔神を恐れてたのは巫女じゃん!」てオチ。
最終的に魔神を動かしたのは「自己犠牲」ではなく「理不尽な暴力への怒り」と、何が何でも生きる意思ではないか?と思った。
魔神が暴君やその部下ではなく彼らの圧政に従った民も殺戮したのは、「暴力を許した無気力な多数派」に憤ったからではないか。
魔神の殺戮を逃れたのは、来襲を知るや避難した機敏な民、暴君を倒そうと隠密行動した若殿と従者。魔神を恐れる事なく助けを求めた農民の子供と姫様。
生きる力とは理不尽な暴力を服従でやり過ごす事ではなく、怒りを持って抗う事ではないかと考えさせられた。

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物語
配役
演出
映像
音楽

イメージワード

  • ファンタジー
  • スペクタクル
  • 不思議
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