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楊貴妃 (1955)

監督
溝口健二
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3.78 / 評価:18件

エキゾチシズム追求による溝口流詩情の欠如

  • Kurosawapapa さん
  • 2011年6月18日 8時03分
  • 閲覧数 626
  • 役立ち度 9
    • 総合評価
    • ★★★★★

中国古代宮廷で、愛する妃を失い、悲しむ玄武皇帝(森雅之)。
そんな皇帝に取り入ろうと、野心と名誉欲に満ちた男たちが、美しい女性たちを皇帝のそばに仕えさせますが、皇帝は見向きもしません。
しかし軍人の安禄山(山村聰)によって差し出された “揚家” の娘(京マチ子)だけは別でした。
彼女の純粋な心に打たれた皇帝は、貴妃の位を与え,楊貴妃となります。

その後、楊貴妃の従兄も宰相にとりたてられますが、欲深い宰相は悪政を行い、民衆は怒りに満ちていきます。
安禄山も昇進しますが、欲深さゆえ満足できず謀反を起こし、反感つのる民衆とともに軍を起こします。
民衆の怒りは、皇帝よりも ”揚家” の人間に向けられ、楊貴妃にも命の危険が迫っていくのです。




本作は一般に、溝口監督のスランプ作と評されることの多い作品です。

溝口監督は、生涯1つのスタイルを通した “小津安二郎監督” などとは対照的に、常に流行に追随しました。

それゆえ、 表現主義、 左翼傾向映画、 新派悲劇、 軍国主義映画、 自然主義リアリズム、 文芸、 古典、 と多岐にわたる作品を作り上げました。

作品は、全部で94本。
その中には、好不調もあって当然でしょう。

それでも溝口監督には、常に新しいものに挑戦し、先頭を切ろうとする意欲があったのです。


== 溝口作品を紐解くキーワードその18 「溝口監督・小津監督・成瀬監督」 ==

日本映画の黄金期、主に、人間ドラマを作り上げた3人の巨匠たち。
友人であり良きライバルであった3人を比較してみます。(敬称略)

生年:    (溝口)1898年 (小津)1903年 (成瀬)1905年

監督作品数:   (溝口)94本 (小津)54本 (成瀬)89本

作品を彩った主な女優:  (溝口)田中絹代 (小津)原節子 (成瀬)高峰秀子

最大の特徴: (溝口)ワンシーンワンショット (小津)ローアングル (成瀬)目線の芸

主に描いたテーマ: (溝口)女性の意地 (小津)家族のありかた (成瀬)女性の生き方

代表作:   (溝口)近松物語 (小津)東京物語 (成瀬)浮雲

自分の監督のイメージ: (溝口)癇癖 (小津)潔癖 (成瀬)物静か

==========



本作が作られた当時は、日本映画の海外輸出の時代でもありました。

1951年、黒澤監督の「羅生門」はベネチア映画祭でグランプリ、
1953年、衣笠監督の「地獄門」はカンヌ映画祭でグランプリを受賞しています。

1955年に作られた本作は、海外進出の武器を、東洋的な衣装や色彩などのエキゾチシズムとし、溝口映画では初のカラーとなっています。



この映画の制作には、香港の “映画の父” ランラン・ショウも加わっていますが、
日本側のスタッフも、中国史や美術を取材、かなり勉強したそうです。

衣装、楽器、建築、また、セットの中に生きた孔雀を置き、随所に中国らしさを見せています。


しかし、全編、スタジオで撮影されたため、狭い空間での撮影が多く、かなり閉鎖的。
また、セットに原色が多い分、やや単調な雰囲気があります。

また、楊貴妃が一族出世のために利用され、横暴頽廃から身を落としめるストーリーは、
女性の意地やドラマ性など、溝口監督らしさが不足。

特に、ラストがいただけません。
無理に作り出されたハッピーエンドは、かなり粗忽でした。


脚本家の依田義賢は、「中国文化の再現に翻弄され、かえって戸惑ってしまい、脚本に詩情を失った」と、自らを評しています。

自分としても、鑑賞した溝口映画18本目にして、初の☆2つ。
海外進出のためのエキゾチシズム追求が裏目に出た、、、 そんな印象を受けたのでした。
(MIZOGUCHI:No18/20 )

詳細評価

物語
配役
演出
映像
音楽

イメージワード

  • 悲しい
  • ロマンチック
  • 不思議
  • 絶望的
  • 切ない
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