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黒い十人の女 (1961)

監督
市川崑
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3.72 / 評価:138件

活気を持ち始めた日本を象徴する男女模様

  • le_***** さん
  • 2020年3月29日 20時13分
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    • 総合評価
    • ★★★★★

監督:市川崑、脚本:和田夏十、1961年、103分、白黒、大映。

伊丹十三と改名する前の伊丹一三、ハナ肇とクレージーキャッツ、昨年3月に死去した歌手の森山加代子が、短いシーンで映る。先週21日に死去した女優時代の宮城まり子が、準主役で出演している。

ひとりの和装の女が、夜道をひとりで歩いている。その風双葉(かぜ・ふたば、山本富士子)を、そこここに待ち伏せていた八人の女が、一列になって後を追う。追い詰めたところで、話は過去に戻る。
テレビ局のプロデューサー、風松吉(かぜ・まつきち、船越英二)は、小料理屋を営む妻・双葉がいるにもかかわらず、新劇女優、石ノ下市子(岸恵子)、印刷会社社長の未亡人、三岸三輪子(宮城まり子)を含む九人の女性と浮気していた。妻と愛人は、互いにその存在を知っており、妻や愛人でありながら、ダメ夫に対しては、全員一致の奇妙な感情をもっている。
市子の提案で、双葉と愛人たちで松吉を殺す計画を話し合うが、人の良い三輪子は、それを松吉に知らせてしまう。松吉に問い詰められた双葉は、あっさり計画を認める。それを聞いた松吉は、別の提案を双葉にもちかける。つまり、松吉が愛人関係を清算するため、愛人らの居並ぶ前で、怒った双葉が松吉を殺す、という狂言殺人であった。
拳銃に弾をこめて用意し、血糊に見せかけるため熟したトマトを用意した二人は、休みにした料理屋二階の宴会場に上がり、双葉は松吉に発砲する。愛人らは帰るが、半月余り経っても新聞に載らず、双葉が自宅の電話に出るなどしたため、愛人らには、狂言殺人ということがバレてしまう。一方、三輪子だけは、本当に松吉が死んだと思い、後を追って自殺する。
話は現在に戻り、夜道に、双葉を追ってきた八人の女は、狂言殺人のことで双葉を責めるが、双葉は松吉に愛想を尽かしていた。これを知った市子は、双葉が離婚するや、女優業をやめ、今度は自分が松吉の妻となり、会社も辞めさせて、潮騒の聞こえる別荘で、二人きりで優雅に過ごす、と宣言する。
別荘で、松吉は、市子の言うなりになり、会社もやめさせられ、みじめな生活になったことを憂えて泣き崩れる。

一種、ブラックジョークを入れたユーモラスな作品である。妻は、夫を大切に思っているという当然の心理を軸に、あんなダメ夫をもらってくれるなら、皆さんに差し上げます、などという態度であるが、狂言自殺を実行するあたり、やはり夫婦に絆はあるのである。ただ、会社をやめさせて料理屋の奥に、煎餅布団で寝起きし、新聞の切り抜きしかしない夫は、見るだにぶざまで、ここでまら、離婚してもいいという心理が芽生えるのは、フィクションならではである。

市子といっしょになった松吉は、互いに仕事をせず、ある意味、市子の理想の夫婦像に納まったが、この先どうなるのかは、暗示されることもなく、映画は終わる。

多くの女優の若かりし頃の姿や、生前の姿が見られるのがうれしいが、この作品は、カメラワークにも凝っていると言える。
冒頭、双葉を追う女たちのサスペンス風な始まりは、掴みがうまい。それも、当時の和美人を中心に配役してあるところもよい。坂道の使い方もうまい。
室内のシーンが多いが、二人だけのシーンに、その実力が現われる。双葉や市子が松吉を責めるなどするときは、双葉や市子がフラームの中央にあり、松吉は端にある、など、教科書どおりではあっても、心理ドラマは、こうしたルールを破ると、途端に、連続するシーンが平坦なつながりとなってしまう。
テレビ局内、デスクが並ぶところ、社員食堂、スタジオやそのスタッフの詰める場所など、実際にどこかの局でロケしていると思われるが、忙しい現場、へやの狭さ、混雑ぶりなどを、うまくとらえている。
こうしたフレームどりやカメラワークにより、安心して画面と向き合うことができる。

演出もよく効いている。いよいよ、拳銃を持って、双葉が二階に上がるとき、愛人らの履物を一旦きちんと並べようとするが、すぐにぐしゃぐしゃにして、それらの上に自身の草履を脱ぐ、など。また、妻や愛人らが登場しながら、一箇所も濡れ場はない。
亡霊となった三輪子の登場のさせかたもうまい。

1961年は昭和36年であり、教師やバーなど一部の職業を除けば、映画や芸術の世界においてのみ、女が華やかに活躍できた時代である。男は、高度経済成長の時代の始まりで、仕事一途が美徳とされていた時代だ。少しずつ活気を取り戻し始めた戦後日本を象徴するかのような内容だ。

女性脚本家の和田夏十としては、そんな時代に対し、男にも女にも敬意を表しながら、こんな過ごし方もどうですか、といった提案を、狂言殺人を用いて描きたかったのだろうか。或いは、あちこちに愛人をつくると、妻も愛人も、女という点で通じ合い、実はみんなバレているのだよ、と、世間の既婚男性に警鐘でも鳴らしたかったのだろうか。

詳細評価

物語
配役
演出
映像
音楽

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