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上映中

雁の寺 (1962)

監督
川島雄三
  • みたいムービー 9
  • みたログ 88

3.57 / 評価:21件

腐った大人は暴力で排除せよ!と若者は叫ぶ

  • yam***** さん
  • 2020年7月5日 22時38分
  • 閲覧数 190
  • 役立ち度 0
    • 総合評価
    • ★★★★★

捨て子として生まれ、母も父も知らず、親切だが貧乏な家に拾われた不幸だが利発な男の子は、口減らしのため禅寺に預けられる

表向きは住み込み修行僧慈念として中学にも通わせてもらっているが、内実はていの良い奴隷である

慈海和尚の身の回りの世話をすべてやらされ、日々暴力と虐待にさらされ続ける

そんな寺に、第三者、若い女性里子がやってくることで師弟の関係が破綻していく



里子は愛人になるしか生き方を知らない女である

元パトロンは死に際に、まるでリレーのバトンを渡すかのように、里子を和尚へ託す

里子が初めて寺に来るシーン、慈念が便所の汲み取りを行っており、寺じゅうに糞尿の臭いが立ち込めている

生理的嫌悪を催させるこの演出は、「人間の最も汚い部分をこれからたっぷり観せますよ」という監督の宣言のようにも思える

もう一つ、慈念が里子にトンビの巣の話をするシーン、「暗い穴の中でトンビが捕まえてきた半死にの魚や蛇やカエルがグッチョグッチョに…」

まるで和尚と里子の交わりを唾棄すべき汚辱にまみれた行為だと暗に非難しているかのようだ

気味悪がる里子にこの話を聞かせる慈念の表情は、唯一このシーンのみ生き生きと輝いて見える





慈海和尚は典型的な生臭坊主として描かれる

酒と女に溺れ、お勤めは適当、弟子は虐待、いいところなし

慈海和尚だけでなく、他の和尚連中も似たりよったり、堕落した仏教界の内実が描かれている

どんなに堕落していようと和尚は和尚、弟子は絶対服従であり反抗は許されない



慈念の生い立ちを聞いた里子は、半ば無理やりに彼の童貞を奪ってしまう
(やや唐突な印象は否めません…)

里子の体当たり懐柔作戦?も奏効せず、慈念は大人への堕落の道を進むことはない

彼はついに暴力を発動させ和尚を粛清し、事後の処理もそつがなく済ませるが、里子だけがことのあらましを悟ってしまい、精神のバランスを崩す

崩れるのは里子の精神だけでなく、名画の母子の雁は毟り取られており、同時に我々観客の精神も少しだけ毟り取られたような苦い後味を残す

『自分を救うためには腐った大人は殺すしかないが、でも殺した自分も自滅は避けられない』という出口のなさ

(そのまま唐突に放り出されるより、私は外人団体客のシーンのワンクッションはありがたく感じました…)

ポル・ポト、オウム真理教、イスラム国などの原理主義に引き寄せられ自爆テロを決行するような多くの若者たちの動機には、おそらく本作の慈海のような腐った大人がきっかけを与えているのだろう


ストーリーとテーマを書くとなんとも救われない話だが、映画自体は面白い


里子役:若尾文子(本作公開時29歳)、どんな汚れ役を演ってもかわいらしさと無垢さを感じさせるバランス感覚がすごい、京言葉もいい

慈念役:高見國一(本作公開時18歳)、真っ直ぐ刺すような視線が痛い、心に空虚を抱えた若者を熱演

慈海役:三島雅夫(本作公開時56歳)、生臭坊主をリアルに熱演


村井博の変態的とも言えるカメラアングルがすごい!
川島監督も絶賛していたらしい





その他ネットで拾った興味深いエピソードなど

原作者の水上勉もやはり幼少時に口減らしとして京都の寺に預けられ、中学の制服も買ってもらえないような扱いに我慢できず脱走した過去があるらしい。小説では脱走する代わりに和尚を殺したが、水上をいじめた和尚は小説発表の前に事故死したとのこと。

若尾文子の女学校時代のニックネームは石仏、これは読書ばかりして、ほとんど声を出してしゃべらなかったことから同級生につけられたという。

詳細評価

物語
配役
演出
映像
音楽

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