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鬼の棲む館 (1969)

監督
三隅研次
  • みたいムービー 6
  • みたログ 29

4.15 / 評価:13件

赤裸々な煩悩地獄とその顚末

  • le_******** さん
  • 2011年7月2日 17時05分
  • 閲覧数 1465
  • 役立ち度 2
    • 総合評価
    • ★★★★★

主要登場人物は4人、無明(むみょう)の太郎(勝新太郎)、その妻、楓(かえで、高峰秀子)、太郎がいま同居している女、愛染(あいぜん、新珠(あらたま)三千代)、上人(しょうにん=高僧、佐藤慶)。これら4人が廃墟となった寺のなかで繰り広げる、仏の法力(ほうりき)と愛欲地獄の葛藤を描いている。

戦乱の世の南北朝時代、人里離れた山奥のおんぼろの寺に、楓が歩いてたどりつく。楓は太郎と別れた身であったが、きちんと話をするべく、あちらこちらを歩き回る盗賊となり果てた夫を追って、ここまでようやくやってきたのだ。

太郎は楓の顔を見るなり帰れ、もう用はない、と言うものの、楓は愛染ともきちんと話したいと申し出、やがて奥から愛染が姿を現す。
傍若無人な盗人に様変わりしている太郎を見て楓は嘆かわしく思うのであったが、愛染が薪をくべよと言えば、太郎はその言うなりになるなど、愛染にだけは従う、だらしのない男に成り下がっていた。
太郎が自分の心に戻るまではここを動かないと強情をはり、楓は本堂と離れた庫裏(くり、寺の台所)に寝泊まりすることになる。

こうして三人の生活が続き、一向に変化がないまま迎えた雪の日、ひとりの高野聖が、道に難儀したので休ませてほしい、と頼みに来る。事情を知り、身分の高い僧であることを知り、楓はその上人を、庫裏に招き入れ、湯を出し、もてなした。話を進めるうちに、楓は、夫のことや、その夫を狂わせている愛染のことを離し 、仏の慈悲にすがろうと願う。

しばらくして、そこに、太郎と愛染が姿を現す。上人が驚いたことには、愛染はかつて、最も親しい白拍子(しらびょうし=歌や踊りもできる遊女)として、出家前の上人を、煩悩地獄へと突き落とした張本人であった。……

楓は愛染をして、上人に、あやつは鬼である、という。男を意のままに動かし、その美貌と肉体によって、男どころか仏までを愚弄する夜叉の心をもつ愛染、その愛欲地獄からきっぱり足を洗い、仏門に入り、厳しい修行を積んできた高僧、この皮肉とも言える遭遇が、その後どんな出来事を生むかは、観てみてのお楽しみで 、これこそばらしてはいけない一線というものだろう。

谷崎潤一郎の原作をもとに、至極シンプルなつくりの脚本をもち、相対する価値観を、一挙にこの四人の交差に引っかけて、ストーリーはゆっくりゆっくり進んでいく。愛染の着る物の雅(みやび)の美しさは、太郎が盗賊をしてかっぱらってきたものばかりである。木仏を割って薪にするなど、すべての邪道もかぎりを尽くす太郎と、 太郎を色仕掛けで操る愛染に、楓の妻としての女の一念と、上人の説法や調伏(ちょうぶく)が、打ち勝つことができるのか。

どちらにも転びそうな展開と、物静かなセリフやカメラで、人間の業をえぐり出した傑作だ。

四人のキャスティングは実に的確で、どう見ても善人には見えず、いつも訳ありの役が多かった佐藤慶は、特に適役であった。高峰秀子の化粧と表情の演技により、夫に顧みられない妻の辛さ悲しさが一層強く表現されている。

既出の『女系家族』の三隅研次監督、新藤兼人脚本、宮川一夫撮影。『羅生門』に似た撮り方をしているところがある。

詳細評価

物語
配役
演出
映像
音楽

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