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江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間

江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間

HORRORS OF MALFORMED MEN

R18+99

映画の夢

4.0

ネタバレ映画史に残る空前絶後のラストシーン

二〇一九年十二月二十三日、石井輝男監督によるこの大傑作(大駄作)カルト映画をやっと、しかもスクリーンで見ることができた。おそらく、これ以降、当分は映画館上映はないと思われる(もしかすると、最後か)。ラピュタ阿佐ヶ谷の蛮勇に敬意を表したい。 時代は大正か。精神病院に収容されていた外科医・広介は、脱走して自分探しの旅に出る。広い日本海側を行くうち、たまたま見た新聞で自分とそっくりの男・源三郎(有数の素封家の当主)が死んだことを知り、源三郎が墓場からよみがえったことにして彼になりすまし、屋敷に入りこむ。 いきなり大ざっぱで御都合主義な展開だが、こんなところでつまずいていては石井作品は見られない。 広介は、どうやら日本海に浮かぶ島に住む源三郎の父・丈五郎(両手に水かきがある、生まれながらの奇形)がすべての鍵を握ると知る。丈五郎はその島を自分の理想郷に変えているという。 島に渡った広介は、源三郎が自分の兄であると知る。ということは、丈五郎が自分の父ということになる。母である、ときは不義密通のために、丈五郎によって岩窟に二十年以上も幽閉されていた(にしては、ときはふくよかだが、深く考えてはいけない)。 さて、島には丈五郎によってさまざまな奇形人間が集められていた。たとえば、若い女・秀子は化け物のような顔の男と、背中が密着するシャム双生児にされていた。 人体を解体してむちゃくちゃに結合する映画としては、米ホラー『死霊のしたたり』がある。が、やはりキリスト教の国の作だけあって、肉体を物理的なものとしか見ておらず、乾いたコメディであった。 一方、『恐怖奇形人間』には、奇形に生まれた人間の悲しみや健常な者への恨みがあふれている。それが丈五郎を演じる土方巽らの暗黒舞踏と相まって、実に湿っぽいのである。アート風を装った見世物、エロ・グロ・ナンセンス・アナーキー・サイケデリック怪奇映画……。 と、考えていたら(上映時間が残り十分か十五分のところで)突然、あの名探偵が現われ、延々と謎解きを始めたのである。え? ミステリーだったのか? 原作が乱歩だから、そういうテイストがあってもいいだろうが……。 と、考えていたら、突然、謎解きの中で、執事の小池朝雄が女装して変態プレーを始めた。これがそこそこの見せ場なのだ。登場人物の扱いの比重が何だかおかしい。 と、考えていたら、突然、丈五郎がときと和解する。「俺が悪かった」「私が悪いのよ」。丈五郎は死ぬ。ぽかんとしてしまうような唐突な展開は、石井作品の特徴のひとつである。 と、考えていたら、このとんでもないカオスをさらにカオスにする、歴史的ラストシーンに突入する。広介の手術によって化け物と切り離された秀子。二人は愛し合うようになる。ところが、秀子はときの娘であった(つまり兄妹)。この許されざる近親相姦を清算するため、広介と秀子が取った方法は人間花火だった。 青空に花火とともに、広介と秀子の生首やばらばらの手足が舞う。そこに重なる声は「たまや〜かぎや〜」ではなく「おかあさ〜ん」である。さらに、荘厳な音楽も流れる。 感動させたいのか、笑わせたいのか、怖がらせたいのか、もはや不明である。うまくまとめようとか、きれいに着地しようなどという意志がまるで感じられない。石井監督はきっと、映画の文法を破壊したかったのだろう。ところが、破壊したからといって前衛になるのではなく、娯楽作品として成立しているという、この奇跡。 合う人には合うが、合わない人には合わない。『アナと雪の女王』など絶対に見ない私には、合ったのである。

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