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ぼくらの七日間戦争 (1988)

監督
菅原比呂志
  • みたいムービー 52
  • みたログ 1,358

3.47 / 評価:329件

つまらない大人たちへ

  • かっつん さん
  • 2013年10月12日 10時23分
  • 閲覧数 1775
  • 役立ち度 9
    • 総合評価
    • ★★★★★

もう何十年ぶりだろうか・・・

この映画は主人公達と同年代の頃に映画館に観に行って、心が凄く揺さぶられた記憶がある。TVでも何度かやった気がするが、最近はみなくなった。

先日「たまたま寄ったツタヤ」の「たまたま歩いた邦画コーナー」で「たまたましゃがんだところ」にあったのがこの映画のパッケージだった。なんとなくあの頃の感動をもう一度味わいたい衝動に駆られて即決めでカゴに投入。

懐かしい。全てが懐かしい。佐野史郎も賀来千香子も若い。何より宮沢りえの美しいこと・・・本編とは関係のないところから感動が始まった。
今(大人)になってから改めてこの映画を観ると、当時は気が付かなかった映画の「粗い」部分や不自然な台詞も、「当時の映画だから」という見かたが結構ハードルを下げてくれた。
まぁいくらなんでもあそこまで酷い先生はうちの学校にはいなかったけど、いてもおかしくない時代だったんだよね、今の若い子たちは想像できないかもしれないけど、学校はやっぱりルールありきなのよ。だからこそ自己主張が大切になる。権利ばかりを主張するとそこからはもやししか生えてこない。
この映画は言わばその極論のような映画だ。何でも「右に倣え」と型にはめ込んでもやしを作ろうとする『大人達』に対して、「自分はここにいる」というメッセージを発するための小さな反乱。
劇中、みんなで隠れている倉庫の中で体が鈍らないように運動をする少年達。運動をせずに本を読んでいる子に「一緒にやらないか」と爽やかに呼びかける。それに対して別の少年が「いいじゃないか!やりたくないんだから!」と声を荒げる。言われた爽やか少年は面白くなくてサッカーボールを蹴り上げる・・・というシーンがある。
僕が初めてこの映画を観た(子供の)頃、気持ちは「爽やか少年」側だった。
「折角みんなで来たんだから、みんなで楽しんだほうがいいじゃん!」と。
だが、今は違う。あのシーンの意味がやっとわかった。
みんな、束縛を嫌って集まった同士であって、苦手なことを強制する行為自体がその「束縛」に他ならないからだ。だからこそ「自分は違う」という事を主張をしなければならない。所詮子供同士、言葉や感情表現が不器用だし、だからこそ成立するシーンだと思う。
自分と違う他人を認識する。その上で向かう方向、ベクトルが同じもの同士が集まって仲間になる。ただ「居心地がいいから」とかそんな単純な理由じゃない。

今この映画を観ている自分は「少年達」ではなく「大人たち」の年齢になった。いろいろな経験をして、いつまでも子供みたいなこと言ってられなくなった。社会的な立場もどんどん変わって「ルール」矛盾しているとわかっていても、下のスタッフにそれを強いる立場になった。
・・・・つまらない大人になった。

さすがに戦車使って花火を打ち上げることは出来ないけど、この映画を観てほろっと涙が出る自分にはまだ何かが残っているのだろうか・・・。

詳細評価

物語
配役
演出
映像
音楽

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