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八月の狂詩曲(ラプソディー) (1991)

監督
黒澤明
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3.15 / 評価:219件

by 偽kamiyawar(知恵袋)

  • nis***** さん
  • 2018年6月10日 5時04分
  • 閲覧数 3298
  • 役立ち度 10
    • 総合評価
    • ★★★★★

戦争の記憶は歴史的に引き継がれていくべきものなんだよ。
しかし現代では歴史は顧みられようとしないから。そこを黒澤は痛感し嘆いているんだな。

あの孫達はこれからの世代を受け継ぐ者たちなんだよな。しかし彼らには全く戦争の歴史は無い。あるのは目の前の現実だけじゃない。その現実がどのような歴史の上に積み重なって在るものなのかは分かってないんだよ。
でも、わかればわかる。ひとたび歴史を知れば、子供達は「日本人」というものになっていくんだな。

現代人である親の世代は、もう損得勘定だけじゃない。「お金」というものだけに拘ってしまう。つまり日本の空洞化なんだよな。親は日本人を作れないんだ。
まさに、三島由紀夫の憂いていた通りの社会が構築されたのな。それが戦後なの。

黒澤は特に原爆というものの恐ろしさを痛感しているよな。『生きものの記録』でもそれが描かれている。しかし、あの歴史を見据えない限り、日本人にはなれないんだよ。
おばあさんはボケてしまう。それは子供の頃の記憶になる、ということだ。そこにあったのは、原爆から家族を守らなければならない、という思いだったんだよ。

最後に流れるのはシューベルトの『野ばら』だよな。
「少年、野に咲くバラを見つけたり(Sah ein Knab' ein Röslein stehn,)」というゲーテの詩だよ。
つまり、おばあさんは子供になった、ということを表しているわけ。そして「戦後の子供」はあの戦争というものを経た子供だから。あの戦争を見詰めない者は「戦後の大人」にならないんだ。

今の日本人は戦争そのものを拒否しているから。戦前なんか見たくもないわけじゃない。だからいつまでも損得に流される子供のままなんだよ。
薔薇を自分のものとするには、あのトゲに触れて痛い思いをして手折らなければいけないんだよ。
あの『野ばら』の詩にもあるよな。

「ならば我、汝を刺さん。汝が我を思い出すがため。そして我は苦しみなき
("Ich steche dich, dass du ewig denkst an mich, und ich will's nicht leiden.")」

つまり、痛みを以って手に入れなければ自分のものにはならない、ということを示しているんだよ。

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