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ザ・デイ・アフター (1983)

THE DAY AFTER

監督
ニコラス・メイヤー
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3.45 / 評価:51件

ヒロシマ・ナガサキの惨状を知れ

  • ナイスルール さん
  • 2012年6月19日 4時41分
  • 閲覧数 2103
  • 役立ち度 11
    • 総合評価
    • ★★★★★

高校生のとき、広島へ行った。
広島平和記念資料館を見学したとき、入館前にキャッキャと笑ってジョークを飛ばしていたハイティーンのアメリカ人らしき男女5人組が、資料館を出たときには一様に真っ青で何かを後悔するような悲壮な顔をして俯いていたのを憶えている。

『神よ、御許し下さい。彼らは何をしているのか解らないのです…』

幼いとき、父たちとVTRでこの映画を見た。
何発もの大陸間弾道弾が、真っ青な空をもくもくと積乱雲のようなジェット雲を残しながら飛んでいくシーンが妙に心に残り、その反面、今度はソ連から核攻撃を受けた米国の都市の惨状がミニチュアやら記録映像やらを取り纏めて映されるのを見て、何故かちゃっちいという印象を受けたのを思い出す。
一緒に見ていた父や祖父は「こんなもんやない」の一言であった。
映画は、東西両陣営間で限定的な核戦争が行われたという“甘い設定”であったが、ソ連からの弾道ミサイルが数発もカンザスシティで炸裂した時点で、この映画のような“デイ・アフター”は有り得ないのである。
現実には、たとえ生存者がいても、まともに歩くこともできまい。

何年か前に、この映画より以前の1977年に製作された『世界が燃えつきる日』という映画を見た事がある。
これも核戦争後の地球を描いた作品で、こっちはまさに“全面核戦争後”の、地軸が移動し気候さえも激変してしまった地球でのお話である。
核ミサイル基地で生き残った軍人たちが、ランドマスターという二つのボディをジャバラで繋いだような対核戦争用武装装甲車(今から見るとなかなかチャッチイ秘密兵器で、1959年製作の東宝映画『宇宙大戦争』に出てくる月面探検車そっくりで、たぶんパクッたのだろう)で生き残った人々を求めて北米大陸を走るサバイバル映画があったが、核攻撃を受けた筈の大都市はビルも車も原型を完全に留めており、スーパーの缶詰とかも食べられるし、人間の遺体も理科室の白骨標本みたいなものばかりで哂えた。
ラストでランドマスターは広大な牧場のような場所に行き着き、そこに住む大勢の健康で生き生きとした老若男女たちに出迎えられる…。
もう何も言えないほどに甘い…甘すぎる。

『宇宙大戦争』と同じ59年に製作された『渚にて』という映画も米ソの全面核戦争後の人々の様子を描いていたが、こちらは非常に現実的で素晴らしかった。
核戦争は北半球で行われたので、南半球のオーストラリアは核の業火による直接の被害を受けずに済んだが、北半球を覆った放射能の嵐はいずれ確実に南半球はおろか全地球を覆い、南半球の人々も放射能によってスローに、しかし確実に絶滅していく…というストーリーであったが、これをグレゴリー・ペックやエヴァ・ガードナーらの名優たちが演じ、これほどまでに美しく、優しさに満ち、しかも理不尽で醜くて絶望的な映画は、私の記憶の中にも殆んど見当たらないほどの名作であった。
1961年の東宝映画『世界大戦争』も名指しこそせぬが米ソの全面核戦争を描き、フランキー堺の叫びとその直後の世界壊滅シーンには身じろぎできないものを感じずにはいられなかった。

米国人は、牧場で飼っているcowやpigと、日常食べているbeefやporkは別の物だと信じていたいので、コンビーフの缶に決して牛を描いたラベルは貼らない。
彼らは東京大空襲で黒焦げになった人々の写真を見た事がない。
彼らは広島や長崎での原爆の惨状を写した写真も、大火傷を負いケロイド状になった皮膚を晒す被爆者たちの写真も映像も見た事がない。
米国政府や在郷軍人会などが、米軍の行った残虐な結果を国民の目に晒そうとはしないし、米国人そのものが、自分達が行った悲惨な現実を、絶望的な未来の可能性を、直視せずにいたいのである。
少なくとも、原爆の惨禍を経験した我々日本人は、この映画を見て、核戦争の危機が現実味を帯びるに従って、甘い事ばかりを考えようとする米国人を叱咤すべきである。
そして、この映画なんぞを例に取り、したり顔で我々に核兵器の恐ろしさを説く米国人に言うべきである。
「あんたらは甘い。こんなのは茶番に過ぎない」

詳細評価

物語
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音楽

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