サテリコン

FELLINI-SATYRICON

128
サテリコン
3.9

/ 65

42%
26%
17%
12%
3%
作品情報上映スケジュールレビュー

作品レビュー(24件)


  • qwy********

    5.0

    フェリーニの祭典に身を委ねよ

    巨匠Fフェリーニにしか描けないであろう狂った感性に満ち溢れた渾身の怪作。 古代ローマ時代の高慢な青年が辿る数奇なる体験談。それを壮大な美術とモブ、アジアやアフリカ音楽で彩る絢爛豪華な映像絵巻に最後まで圧倒されます。 この稀有でマッドな至高のドラッグムービーに理性や理屈は棄て去りどっぷりと身を委ねて堪能して欲しいのです。

  • Kainage_Mondo

    4.0

    美術に圧倒される。

    今まさに 武漢発・新型コロナウィルスの pandemic の渦中にある世界。緊急事態宣言 ( 5月6日 以降も延長必至 ) が出て 映画館も休館を余儀なくされ、新作は軒並み封切り延期となっている。そのさなか 止むを得ず自宅で旧作を観ている訳だが、本作はその第3弾。1969年 イタリア映画。フェデリコ・フェリーニ監督 ( 以下敬称略 ) による “ローマ三部作” のひとつだ。 時は古代ローマ。エンコルピオ ( マーティン・ポッター ) と アシルト ( ハイラム・ケラー ) という 2人 の若者を主人公に物語は進行するのだが、エピソードの数珠繋ぎといった印象で、劇的&感動的なストーリー展開を期待していると肩透かしを喰う。流れにまかせて映像を楽しむ作品だろう。 ダニロ・ドナーティ の衣裳が素晴らしい。埋葬のイメージに何と 読経 を重ねて吃驚させた音楽は フェリーニ監督 の盟友 ニーノ・ロータ だが、数々の有名テーマ曲とは無縁の 地味なこしらえで作品を支えた。しか~し ! 何よりも見事だったのは 美術 ( ルイジ・スカッチャノーチェ & ダニロ・ドナーティ ) で、チネチッタ・スタジオ に巨大なセットを作り、VFX や CG がまったく無い時代に大崩落シーンまで現出させた職人技に唸った。 巨大建造物のセットからガレー船もどき、ガジェットの数々に至るまで、監督の思いのままに古代ローマ時代を再現した 美術 に圧倒された映画と言えるだろう。製作から 50年余 を経てなお、新鮮な印象をうけるのは大したものだと思ったが、欲を言えば、さらに頽廃さらに肉欲さらに混沌でもよかったなぁ~ と、 50年前 ではとてもとてもの 無い物ねだり をしてしまうのだった。 【 余談 】 序盤から気になったのは、登場人物の口の動きとイタリア語の台詞が微妙にズレていたこと。撮影現場での録音ではなく、アフレコなのだろうか ? だとしても もう少し合わせて欲しいものだ。

  • kyo********

    5.0

    ジトーネは永遠

    マックス・ボーンという俳優はその後どういう人生をおくったのだろう。 いろいろと説はあるようだが、この一作で彼は映画史上に永遠に刻み込まれる。 これを語りつくせる人はおそらくこの時代、稲垣足穂くらいしかいなかったのではないか。 フェリーニはこの俳優を発掘したことで作品を成就したといって過言でない。 ジトーネの登場する前半から中盤まででこの物語は終わっている。 映画芸術とはこういうものだ。

  • bar********

    4.0

    表現主義的・マニエリスム的

    サテリコン。フェリーニらしい映画ですね。『女の都』や『ローマ』などとよく似た幻想的な作風です。 ストーリーにたいした意味はないと思います。この映画はその過剰な美術装飾の奔流です。極彩色の衣装やセットはマニエリスム的であり、作者の幻想的な作風そのものを表しています。 サテリコンとはWikiによれば、帝政ローマのネロ期を描いた風刺小説『サテュリコン』が原作になっており、堕落した風俗を描きます。フェリーニはそれが自分の幻想的表現の下地にちょうどいいと思ったかもしれません。 私自身の評価ですが、フェリーニらしい芸術性ではあると思いますが、先ほども言ったとおりマニエリスム的であり、表現のための表現、といったように、表現の意義が宙に浮いてしまっている好例だと思います。 難解というものにも種類があり、手掛かりがあり、そこから奥深い表現が見える場合と、手掛かりがほとんどなくそこから先の表現性が見えてこない場合に別れます。この『サテリコン』は後者です。 フェリーニは素晴らしい作家であることは同意しますが、この『サテリコン』に関しては、とりとめがなさ過ぎて、まとまりを欠いた、表現主義的・マニエリスム的な作品だと思います。ほかの名だたる名作と肩を並べられる作品ではありません。

  • レモンオレンジ

    5.0

    フェリーニ監督の超弩級映画 最高傑作

    フェリーニ監督の最高傑作というと 「81/2」と大体いわれています。 一般的には、「道」「81/2」「甘い生活」「アマルコルド」 が傑作と認知されていると思います。 個人的には「サテリコン」が最高傑作だと考えています。 いわゆるフェリーニ監督が天才絶頂期だった時代の映画です。 フェリーニはアカデミー外国語映画賞を3度とっています。 キネマ旬報で年間映画で1位をとった回数は、イーストウッド監督に次いでチャップリンと並んで2位です。 「サテリコン」は確か、当時スクリーンで年度一位だったような気がします。 ジョン・レノンのお気に入りの作品です。 この映画を一言でいうと、「超弩級」としかいいようがありません。 すさまじいとしかいいようのない映像の連続です。 フェリーニ自身が絶好調で天才としかいいようのない時期の作品で 集中力が途切れることがありません。 自分にとっては、世界映画史で1位のランク作品になります。 何度みても凄いとしかいいようがない作品です。 キリスト生誕以前のローマを題材にした小説の映画化ですが フェリーニは、この映画を古代ローマを舞台にしたSFだといっています。

  • kih********

    3.0

    古代ローマに般若心経が……!

     気持ちの悪い映画だった。紀元一世紀というから、キリスト教の発生と布教の時期だろうか。その頃のローマがこのようであったのであれば、その辺境の地(ローマ支配下のユダヤ教エリア)にあっても、乱世・抑圧からの救いを求める民衆のエネルギーが沸騰してもおかしくはない。キリスト教が誕生する社会的要因(背景)の説明映画のように思えた。  それにしても気持ちが悪い。快楽・退廃・腐敗、画面から悪臭が広がってくる。それをデフォルメし、抽象化し、舞台劇風に組み直し、色をつけて、美しく演出してあるのかもしれないが、こういうことに美や快を感じる能力がないので、私には、醜は醜のままである。  途中、般若心経と思しき一場面があった。このシーンを取り入れた意図はどのようなことであったのだろうか、大いに気になるところ。  終盤に、人間が人間の肉をくらう異様な光景が出て来る。遺書に「財産相続を願うものは、我が屍肉を食え」と書いてあったからだという。キリストの血と肉の聖餐式(ワインとパン)と関わりがあるのかないのか。非常に気になるところ。  最初から最後まで見るに堪えないものだったが、途中と終盤のシーンが気になって仕方ない。我慢してもう一度「視」れば、もっともっと見逃せないシーンがあるのかもしれない。  映画作品としての価値は分からない。乱世の腐敗ぶりを遠回しに見せられた創作資料、か。

  • le_********

    5.0

    ネタバレ並大抵でない想像力の産物

    このレビューにはネタバレが含まれています。
  • bakeneko

    5.0

    “脳内ローマ”へようこそ!

    第5代皇帝ネロの側近であったペトロニウス(20年頃?~ 66)によって書かれたとされる、現在では部分的(トルマルキオの饗宴シークエンス中心)にしか残存していない古代文学に設定を依った、“個人の脳内幻想を具象化した驚異の異世界”と“内包されている私達自身の根源的な精神の赤裸々な本質への鋭い洞察“に圧倒される、映画のみならず芸術全体に於ける遺産であります。 この映画の原作となった文献は昔大学の図書館で読みましたが、本当に文章が纏まって残っていないのですよね(….以下欠落...、の繰り返し)。で、残っている部分も殆ど“食べるか、盛るか”の表現のみで、読みながら思わず周りを見回した覚えがあります。 フェリーニの出世作「甘い生活」の原題は最初“紀元2000年のバビロン”だったそうですが、本作は古代ローマに時代を置き換えた「甘い生活」の姉妹編と見る事も出来ます。また、様々な想いや幻想がコラージュされた「81/2」の雑多なジャンルのエピソードの中から、“子供の頃の思い出”シークエンスのみを凝縮して生まれたのが「アマルコルド」であり、古代幻想と悪夢的イメージを集積して出来上がったのが本作とも言えるのであります。 絵画の様に単独で製作出来る個人芸術とは異なり、映画は多くの人と事物を用いますので“抽象的イメージ”を具体化するには、“明確なコンセプト”に加えて(“何デタラメやってんだよ~”と言われても突っぱねる事の出来る)“強固な意思と自信”が必要となります(だって何百人の人々と数億円のセットを使って“現実的な視点ではわけの分からないもの”を創るのですから)。本映画の製作風景を撮ったドキュメンタリー「サテリコン日誌」に様子が出て来ますが“とてつもない発想を現実化する”試みが見事に成功した理由は、天才である作家に加えて、映画という産業が巨大な利潤を生んでいて、芸術的冒険をする余裕が有った幸福な時代性も大きいと思われます。 そして描かれた世界は、フェリーニ組のカメラ&美術の神業的な技術も手伝って、“極彩色の幻想絵巻”となっています。そして観客は、グロテスクで奇矯なデザインと造形の中から“抽象&イメージ化された物事の本質”を感覚的に見いだす事になります。醜悪なもの、奇怪なもの、巨大なもの、毒々しいもの、美しいもの、淡いもの、残酷なものが圧倒的なエネルギーによって混濁され、融合して現出する無意識&有意式の感情の波に身を任せて、未曾有の映画体験が出来るのであります。 本作が創られた時期にはパゾリーニが同じチネチッタで古典に題を取った“人間性を鋭く抉った”作品群を創っていましたから、良い刺激になったとも推測されますが、“野卑で猥雑な事象”を白日的現実感で照らすパゾリーニ作品に比べて、グロテスクな頽廃を描いても“幻惑的な美術”の夢幻感覚の品位が維持されているところがフェリーニの持ち味であります。 複数のエピソードが積み重なるオムニバス形式で語られる物語は、様々な異境冒険の高揚感に満ちていて、まるでSFで別の惑星を探検しているかの如き、“異邦感覚”とまだ世界が不思議と不可解さに満ちていた子供の頃に持っていた“原初的な感性”を蘇らせてくれるのであります(そして観賞後は一日中海水浴で遊んだ時の様な疲労感が…)。 その臨場感を遜色無く楽しむ為に、絶対に映画館で鑑賞すべき作品の一つですので、機会がありましたら是非! ねたばれ? ローマ人のくせに仏教徒だったのね(ご免なさい)

  • 一人旅

    3.0

    気持ち悪さだけ残る

    F・フェリーニ監督作。いや~気持ち悪い。清々しさや爽やかさの欠片もない。むさくるしくて汚らしくて暴虐的なオッサンが美少年に目を付ける。宴の参加者たちは皆、床に寝そべって酒を飲んだり飯を食ったり。しかも全員目がうつろで生気ゼロ、出不精度マックス。

  • afe********

    5.0

    エンコルピオの旅

    正常な精神では見れなかったです。フェリーニ監督が描く古代ローマは、暗く陰鬱な亡者の世界を思わせるディストピア的な世界観でした。 【satyriasis】は医学用語で男性の異常性欲を意味しますが、原題のSatyriconと無視できない関連性がありそうです。 主人公のエンコルピオは名をジトーネという美少年をこよなく愛していますが、親友のアシルトに奪われてしまいます。そこへ傷心のエンコルピオを天災が襲い、住む家をなくしたエンコルピオは流れるままに旅に出ます。 旅の途中、エンコルピオは様々な性の体験をしますが、それらは一貫性のない文脈の中に置かれ彼の自己分裂、自己破壊的な衝動を表現しているかのようです。物語は継ぎはぎ細工のような混沌とした様相を深めますが、それこそまさに主人公の内面かもしれません。 これはドぎつい表現主義の作品のですが、フェリーニ監督の溢れんばかりの異常性は、嫌悪感を通り越して一つの芸術まで高められています。例えば、スクリーンに突如現れる空白や話し手が不明なナレーション、まるでページが抜き取られたかのように切り替わるストーリー。どれもこれも困惑させられますが、それによって不安定にされた観客の精神に作品のテーマがずけずけと入り込んでくる余地を与えてしまっているかのようです。 役者は演じる人物の精神を崩壊することに努力しますが、監督は観客の精神を崩壊することに専念しなければならない。と、巨匠フェリーニ監督が教えてくれました。

  • leo********

    5.0

    ネタバレ胃もたれするイメージのてんこもり

    このレビューにはネタバレが含まれています。
  • jin********

    5.0

    芸術的作品

    フェリーニ作品は「道」しか観たことなかったけど、ある日お店で強烈な印象のパッケージを観て惹かれてしまい、フェリーニ作品と知って驚きました。それから買おうか迷いましたけど、TSUTAYAにあったので借りてみました。内容もやっぱり強烈で久々に芸術性が高い作品でした。凄く魅力的で何度も見てしまいそうです。日本の作品で「追憶のざわめき」と同じくらい衝撃的でした。

  • m87********

    5.0

    芸術作品

    あー凄かった。 難しいし理解出来なかった。 しかし素晴らしかった

  • ********

    4.0

    奴隷の冒険

    1969年。フェデリコ・フェリーニ監督。ローマ時代の青年が美少年奴隷を盗まれたことから数々の冒険にまきこまれていく話。性関係は男性女性関係なくなんでもあり、金に糸目をつけない金持ちたち、権力を濫用しまくる権力者たち。自ら奴隷に身を落とすことで体験することになる腐敗した世界の数々。 最終的にはローマ帝国を抜け出していく主人公。信じがたい豪華なセットと美しい光があふれるロケ撮影。特に海の光。葬式のシーンではなぜか般若心経が聞えています。 短編をつなぎあわせて全編をつくったような形になっていて、ストーリーの整合性を追っていくと疲れてしまいます。それぞれの節ごとに「芸術と金」「三角関係」「裏切り」などのテーマがあるようで、別々のものとしてみたほうがわかりやすい。

  • ZZZ

    4.0

    フェリーニの世界(難解)

    粗筋では古代ローマの酒池肉林、退廃が云々とか書かれているが、シュール、前衛的過ぎて物語としてはよく分からない。 同巨匠の「ローマ」とは異なり、一応、ストーリー仕立てではあるが、断片的な話と、その話の繋がりが理解できない(急転直下的にシーンが切り替わる)。各断片の物語は分かるが、総括して、どういう物語だったのかと問われると説明できない。 そして、映画自体は古典的な舞台劇を見ている様な感じ。そこに、前衛的にして、シュールな映像をふんだんに盛り込んで、全体が構成されている。好みの大きく分かれるところだろう。 巨匠独特の世界観で描かれている。その為、感情移入はできなかったが、動く絵画でも観ている様で頭の中は混乱状態だが、不思議と飽きず、不可思議な面白さは残る。 因みに、結構、エグイ場面もあるので、苦手な方は注意。

  • どーもキューブ

    5.0

    フェリーニの退廃的絵本

    脚本監督フェデリコフェリーニ1969年、MGM作品。圧倒的な映像絵巻にただただ驚きっぱなし。素晴らし過ぎて。フェリーニは「道」「青春群像」を見て、「81/2」「甘い生活」を見て奥深さを知り、水野晴夫「四つ星シネマ」で二十代前半「カサノバ」を見て「この領域は俺にはまだ早い」と思い途中挫折。それ以来の鑑賞。フェリーニが古代の欧州で退廃的な人間のありのままの姿を色彩美豊かに描いた本作。瞬間瞬間が必見で大人の絵本のよう。物語が散在して統一にかけるが、次々に変わりゆく色、肉体、暴力、アンモラル、下品さ、肉欲、造形美、ファッション、メイク等力があり素晴らしかった。画面の隅々まで見直したい。ニノロータの様々なオリエンタルな音がまた、神がかりにスンゲェー!時折画面をガン見するオブジェ的人が(笑)人間顔の馬鹿でかい割れた石像を引きずるシーンインパクチ大。フェリーニの壮大な欧州人間昔話、いやー参りました。びばチネチッタフェリーニ!

  • dep********

    4.0

    いっちゃってますねーー

    今まで見た映画の中で一番いっちゃってます笑 時計仕掛けのオレンジよりもいっちゃってます. ローマ時代の貴族どもの退廃した生活を映画化したやつです. まず音楽がいっちゃってます.サイケな感じで頭がトランス状態になりそうな音楽です. キャラはなに考えてるんだかわからないやつばっかですし. また、映像もいっちゃってます.とてつもなくカラフル! まぁ一回は必ず見るべき映画です. でもあまりにいっちゃってるので前半でおなかいっぱいになります.笑

  • und********

    5.0

    迷宮に溺れる

    この毒々しくも魅惑的なラビリントスの住人たちには眩暈すら覚える。 古代ローマ。当時の近代都市というイメージとはかけ離れた猥雑な混沌。フェリー二はローマをギリシャ的な美とは異なる異教的色彩に彩った。両性具有者に牛頭等、魑魅魍魎が跋扈する世界と化しているが、不思議な胸掻き毟られるような郷愁を感じる。 観客は、天才が雪崩のようにスクリーン全体を埋め尽くす素晴らしいイメージを、驚きを持って受け入れるしか手が無い・・・ つくづく、この監督のような才能はもう二度と登場しないだろうと思わされる。 アフリカの海岸にたどり着く、切り取られた絵のような海辺のシーンが恐ろしくも美しい。

  • syu********

    2.0

    幻想的な風景を映像化

    ペトロニウスによって書かれたネロ期の堕落した古代羅馬を描いた小説「サテリコン」の映画化。暴君ネロの寵臣ペトロニウスが描いた爛熟、頽廃の羅馬を、現代との酷似状況として捉えた壮大な風刺劇。 基督教的倫理観が確立する以前の古代羅馬を舞台に、人間の欲望を赤裸々に描いた巨匠フェデリコ・フェリーニ監督作品。気分の悪さこそが頽廃であり、堕落であり、羅馬末期である。これらを頽廃と感じるのは、基督教的な道徳が生まれた以後の欧羅巴の視線であり、それはつまり現代の世界の殆どが共有する視線である。宗教的な自律が生まれる以前の世界が頽廃的な世界であったということは、それが人間本来の性質であるということなのかと考えてしまう。しかし、このような頽廃が広がったのは羅馬末期(いわゆるネロ期)に限られたことであり、それ以前はギリシャから続く哲学による自律が働いていた.この作品に描かれているのは極端に頽廃的(欲望が人間を支配する)文化である。だから、それを「気持ち悪い」と感じるのはそこに無意識の自律が働いているということなのだ。確かに映像は美しいが、その映像の美しさにもかかわらずこの世界を美しいとは思えないのは、この映画を見るわれわれの頭の中でそのような仕組みが働いているからなのだ。 フェリーニが羅馬時代に拘る理由には、現代劇では実現できないような幻想的な風景を映像化できるということもあるのかもしれないとも思った。 場面の展開の仕方といい、映像といい、物語に頼らずに構成された映画の醍醐味が味わえる。

  • adi********

    3.0

    見てはいけないものを見てしまった感じ

    なんとなく思い出したのは 子どものころ 近所の冬祭りに毎年出てた見世物小屋 ランタンの炎 へび女とかろくろ首のドロドロの絵に ドキドキしながら目をつむって通り過ぎたっけ ジメジメしたこの国の因果応報の闇と 地中海の太陽のしたで繰り広げられる酒池肉林の饗宴とでは 色調はゼンゼンちがうんだけど 見てはいけないものを見てしまったような 後ろめたさは似ている シュールでアブノーマルな悪夢世界 映画でいうと寺山修司 きっとフェリーニ監督も見世物が好きだったのでしょう でもなぜ? 寺山さんにしてもフェリーニ監督にしても なぜ同じころ 1970年前後にこういう 人びとの平和な日常をおびやかすような おぞましい世界を露骨に描こうとしたのか? (当時の若者たちは熱狂的に受け入れたらしいけど・・) 21世紀の私たちには すっかりわからなくなってしまった今日このごろ・・ これっていいの?悪いの?

1 ページ/2 ページ中