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幸福(しあわせ) (1964)

LE BONHEUR/HAPPINESS

監督
アニエス・ヴァルダ
  • みたいムービー 48
  • みたログ 172

3.71 / 評価:62件

居心地の悪い美しすぎる映画。

  • じゃむとまるこ さん
  • 2015年4月28日 23時18分
  • 閲覧数 1364
  • 役立ち度 13
    • 総合評価
    • ★★★★★

ヌーヴェルヴァーグの祖母と言われるらしいアニエス・ヴァルダ監督作、『5時から7時までのクレオ』に引き続き観賞。
映画の印象はずいぶん違います『5時から~』はヌーヴェルヴァーグ左岸派としてそれを牽引するアラン・レネの影響を大きく受けていたと思ったのですが4年後の本作では全く違う自分の世界を作り上げています。
本作は公開時話題になっていた(とても美しく怖い映画という)のは知っていましたが、まだ観る年齢ではなかった。

タイトルはずっと”こうふく”だと思い込んでいたのですが、”しあわせ”だったのですね。
主人公は何度もことあるごとに言います「僕は幸せだ」。
彼は楽天的なのだろうか?
彼の人生に迷いはないのだろうか?
自分の幸せは他人の幸せだとでも思っているのだろうか?

アニエス・ヴァルダは普通の幸せも一皮むけばこんなものよ、と言いたいのだろうか。

確かに人間は欲望に忠実に生きたい、しかし失うものとその欲望を天秤にかける。

従順な妻、可愛い子供二人、ささやかで豊かな幸せ。
そんな中、彼は郵便局の受付の美しい女性と恋をする、彼も女も彼の家庭のことは全く気にかけていない。
女は「わたしはいいのよそれで」と言ってくれる。
「僕は幸せだ」
ここまではよくある話だと思う。

ここからがおかしい。
このしあわせを妻と分かち合いたい。
美しい家族のピクニックのシーン。
「彼女も君も愛しているんだ、何の心配もいらない、僕は幸せだ」
彼等は愛を確かめ合う。
気がついたら妻がいない、誤って池に落ちた・・・・と彼は信じた。

いや、そんなことあるわけないでしょう。
でも、男は全く疑問を持たない。

確かにそうでしょう、いつまでも同じ情熱で妻だけを愛せるわけではない、それは反対に妻も同じことだ、と思わないといけないのだけれど。
それでも家庭を平安に維持していくのは多くのことを諦めないといけない。
そんな先に見つけたものを「幸福」と言うのかもしれない。

この主人公は、普通に考えればエゴイストの人格障害者と言えるだろう。
でも映画ではそうはなっていない。

映画冒頭幸せそうな家族のピクニック、ラストシーンも同じ。
妻が愛人と入れ替わっただけ、同じ日常、彼は幸せだ。
でも何かが足りない、彼はまた恋人を求める、それの繰り返しが想像できる。
彼は、ずっと幸福なのだろうか、それを幸福と言うのだろうか。

愛されている彼は幸せなのだろうか?
彼は妻を愛していたのだろうか、そうは思えない。
では、彼は恋人を愛していたのだろうか。
彼は自分しか愛することが出来ない、自分にとって必要だから愛していると思っているだけ、だから葛藤がない。

陽光煌めく美しい映像、印象派の絵のようだ。背景に流れるのはモーツァルのトクラリネット五重奏曲、上品に優雅に、妻との生活、恋人との逢瀬、すべてが彼にとっての幸せ。
しかしラストシーンでは曲が変わる、ちょっと暗さを感じさせる同じくモーツァルトのアダージョとフーガ。

この物語がフーガであるなら、物語の終りがどうなるか暗示されているように思う。
美しすぎる映画は崩壊の予感を感じさせる。
愛されることより愛することが人にとって大事なことだから。

詳細評価

物語
配役
演出
映像
音楽

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