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幸福(しあわせ) (1964)

LE BONHEUR/HAPPINESS

監督
アニエス・ヴァルダ
  • みたいムービー 48
  • みたログ 172

3.71 / 評価:62件

低級な鑑賞者は、「男女」と色彩しか見ない

  • da5******** さん
  • 2017年8月22日 16時32分
  • 閲覧数 1068
  • 役立ち度 3
    • 総合評価
    • ★★★★★

幼子二人に何の未練も遺さず発作的に自殺した母親は、自殺の理由がどうであれ、子供にとっては「ぼく(わたし)を棄てた、冷たい冷たい裏切り者」である。成人して母の事情や気持ちを慮ることができるまでは、その子らはずっと母を恨み続けることになる。世界一大好きな、そして世界一ぼくを(わたしを)愛してくれていたはずのお母さんを、ぼくは(わたしは)この世に引き止めることができなかった。お母さん、ぼくは(わたしは)あなたにとって、かわいくなかったの?……………………その悲痛さを想像できた鑑賞者っていないの?
実際、私の知る某年配婦人は、若い頃に夫や姑とうまくいかずに何度も家出し、自殺未遂までした。そういういろいろがあって、実の娘たちが五十才すぎになってもまだ母娘の心のつながりは回復しきらず、娘の一人は精神を病んでさえいるままだ。

この映画の、善良で、見目麗しく、温順な妻の、追い詰められた果ての弱抗議+謙譲行為───「夫を一言もなじらず、自分以外の全員が幸福になれるように、超サプライズ的にひっそり身を引いた」を、純愛の一形態ととらえる素直ちゃんも多々いるだろう。視野が狭いぞ。
真に「愛」ある母親は、狂ってでもいない限り、自殺しない。つまり、自殺する理由が一ミリもないのに、監督は彼女を死なせた。それによって何を洞察開示したつもりか?
「愛」と「幸福」の定義をそもそも突き詰めていないところからスタートした、疑似論理性。ヒール(悪役)はじつは、そんな監督ひとりである。なぜなら、あんな男はこの世に存在しないし、夫の微細な変化を妻(女一般)は、あんなものではなく(告白される前から)もっともっと敏感に嗅ぎ取るものだ。
女のくせに女のことがわかっていない。いったいどういうことなんだ。

「藻や葦がよほど激しく絡まらない限りはそう簡単に水死できそうにないようなチャッチイ池」であっさり死んだギャグ風味だけは、まあ、いい意味でヌーヴェルヴァーグだね。ギロチンの国なんだから首の動脈でも切ってから飛び込め。
結婚生活が順調だった、当時完全にリア充状態の女監督が、自らのお娯しみとして露悪か偽悪寄りに創ったこの“日溜まりホラー“を、過度にこき下ろすのも無粋だが、不用意に褒めるのは騙され好きの証明。みんな気をつけた方がいいぜ。
“初物“以上の価値も意味もないボジョレ・ヌーヴォー(日本人以外はほとんど誰も輸入なんてしてない)を毎秋せっせと我々に売りつけるフランス人って、基本的には日本人をバカにし続けてるはずだ。「ヌーヴ・・・」っていうのは一種、忌まわしい言葉だな。

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