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ジェラシー

ジェラシー

UNA DRAMMA DELLA GELOSIA/JEALOUSY, ITALIAN STYLE/PIZZA TRIANGLE

104

ser********

5.0

恋心と嫉妬はいくつになっても消えません

先日、突然カミさんが愛を告白された、と私に告げた。 ぬあにぃ!告白だと!? その相手とは・・・社交ダンスの仲間でなんとその年60歳のオッサン! 爆笑した、といったら大袈裟だが正直カミさんの困惑ぶりに笑ってしまった。だってその人が自分に恋していた事、全然気づいてなかったんだもの(笑)鈍感すぎる!オレだって気づいていたぞ、会った事もないのに!(爆)雑談に出て来るその人のエピソードを照らし合わせると、絶対にその人はあんたに恋してるぜ、と言うにもありえな~い、と笑っていたカミさんの困惑ぶりに正直彼から見ればライバルの私でさえ同情を禁じえなかった。 「女って・・・残酷だ」  恋とは盲目。よく聞く言葉だ。 どんなに紳士を演じても、どんなに淑女を演じても、恋に落ちたら人間は途端に自分勝手になる。冷静にその気持ちを分析しようにしても、感情だけが先走り、一度火がついた想いはなかなか消せやしない。正直、私がカミさんの告白に《嫉妬》の念を抱かなかったのは、少なくともかつてよりは恋心が消えうせたせいなのかそれとも相手に負けるはずはない、とタカをくくっているせいなのか。だが、年を取れば取るほど若さへの渇望は強くなり、何かを失うという不安にかられる気持ちは強くなる。告白者の立場で考えるとても他人事とは思えないのはかつて自分にもそんな経験があったから。そしてこんな話を映画のレビューで書くのはこの映画「ジェラシー」を思い出したから。 この物語は喜劇であり悲劇である。まさにイタリアお得意の艶笑劇であるにもかかわらずものすごく深いオチ。それは人間の併せ持つ悲しさを体現しているからか。物語は一人の男が女を《殺す》事から始まる。その殺した理由を回想で語り出すスタイルはよくある話だが、これが実に身に染みる。醜く愛のない妻との生活に疲れ果てていた中年男が偶然から出会い恋に落ちた若くて美しい娘。周囲の反対も聞かず、男は娘と結ばれるがそんな二人の間に一人の若くてたくましい青年が。やがて娘は彼に恋をして、主人公は嫉妬に狂う。そしての結末。正直、概要だけ書けばどーって事ない話だ。 しかしそんな中年男を演じるのがマルチェロ・マストロヤンニとくれば物語は三文話から途端に一流な物語へと変貌する。 平凡な人間にも夢見る権利はある。 だが一生、人間は夢を見続けられるのか。 年をとれば取るほど失う若さと夢。そんな彼の夢を支える娘の行動は端から見れば尻軽女にしか見えないかもしれない。でも彼女は若さゆえにそんな《冒険》が出来る。何度も何度も。それこそが若さの特権なのだ。だが主人公は既に中年、先も短く富といえるものさえない。そんな男と女のすれ違い、そんな年齢の差からくるギャップ。 《嫉妬》とは決して男と女の恋物語だけで成立するものではない。 表面的には恋に踊らされる喜劇だが、同時に人生に踊らされる悲劇。人間はいつの世もそんな感情から抜け出せない。 この女に出会わなかったらそんな悲劇は起こらなかったのか? 否。彼が《平凡な》不幸せな生活をする事もまた悲劇であった。愛していない妻とただ過ぎるだけの日常をとるか、それとももう二度と出来ない《冒険》をとるか。それによって傷つくことが分かっていても人はその欲望から抜け出す事は出来ない・・・。 そして生まれた悲劇。愛する女を殺す、という悲劇。 だが女もまたそれは不幸な悲劇であったのか。 考えれば考えるほどこの映画の深さに私は打ちのめされる。 それは多分、私も世間的に《中年》と呼ばれる世界に足を踏み入れたからに他ならない。 昨日、カミさんはそのケリをつけてきた。 男と二人きりで会い、その恋は受け入れられない、と告白したそうだ。 男は60歳にもなってまるで初めての恋だったかのように一人で泣いた(らしい。どうも文脈から察するに)。そして相当酔っ払ったという。 気持ちが分かるよ、ウン。私もかつてそんな経験をした。恋を失う気持ち。嫉妬に狂う気持ち。カミさんの鈍感さが人を傷つけてるのもよーく分かった(笑) それでもホッ、としたのは・・・やっぱり未だにホレてるせいかもしれない。 いや、相手がもし自分より年下の若いやつだったら・・・確実にジェラシー!井上陽水を一人カラオケで歌っているに違いない(笑)  ♪ジェラシー 愛の言葉は 愛の裏側 ジェラシー~ィ!

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