略歴
テキサス州立大学、コロンビア大学に学んだ後、『エスクワイア』誌でイラストレイター兼ライターとして活躍。デヴィッド・ニューマンと知り合い、二人で映画の脚本を書き始める。その中の『ボニーとクライド』がワーナーの目に止まり、「俺たちに明日はない」として映画化された。本作でアカデミー脚本賞にノミネートされたほか、ニューヨーク映画批評家協会賞などに輝き、二人は一躍人気シナリオ・ライターとなった。72年に「夕陽の群盗」で監督業に進出。79年の「クレイマー、クレイマー」でアカデミー監督賞と脚本賞を受賞した。その後も「プレイス・イン・ザ・ハート」、「ノーバディーズ・フール」と作品数は少ないが秀作を造り上げている。
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受賞歴
映画賞 | 受賞回(年度) | 受賞部門 / 作品 |
---|---|---|
アカデミー賞 | 第57回(1985年) |
プレイス・イン・ザ・ハート |
ベルリン国際映画祭 | 第35回(1985年) |
プレイス・イン・ザ・ハート |
NY批評家協会賞 | 第50回(1984年) |
プレイス・イン・ザ・ハート |
アカデミー賞 | 第52回(1980年) |
クレイマー、クレイマー |
アカデミー賞 | 第52回(1980年) |
クレイマー、クレイマー |
LA批評家協会賞 | 第5回(1979年) |
クレイマー、クレイマー |
LA批評家協会賞 | 第5回(1979年) |
クレイマー、クレイマー |
ゴールデン・グローブ | 第37回(1979年) |
クレイマー、クレイマー |
NY批評家協会賞 | 第33回(1967年) |