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フリッツ・ラング

生年月日
1890年12月5日
出身地
オーストリア=ハンガリー/ウィーン

略歴

建築家をめざしていたが、20歳で家を飛び出し世界各国を旅した。その後パリで絵画を売って生計を立てているうちに第一次大戦が勃発、軍へ入隊。16年の除隊後、映画脚本を書くようになり何本かがドイツで映画化。19年に自らの脚本を初演出、3作目の「黄金の湖」がヒットして一流監督となる。その後、「ドクトル・マブゼ」、「メトロポリス」、「M」などドイツ映画黄金期を築いた。母方がユダヤ系であるため、第二次大戦中にナチから逃れてパリへ逃亡。34年にハリウッドに招かれ商業作品を撮った。妻は脚本家でもあったテア・フォン・ハルボウ(22年結婚)で、「ドクトル・マブゼ」以降、32年の「怪人マブゼ博士」まで共同で脚本を担当していた(同年離婚)。76年に病死。

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受賞歴

映画賞受賞回(年度)受賞部門 / 作品
ヴェネチア国際映画祭 (正式な国際映画祭として認められていない)(1946年)
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