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バート・ランカスター

生年月日
1913年11月2日
出身地
アメリカ/ニューヨーク州ニューヨーク

略歴

本名はBurton Stephen Lancaster。五人兄弟の四男として生まれる。家庭は貧しかったが、少年時代から映画が好きで、銀幕で大活躍するフェアバンクスやヴァレンティノを観て育つ。高校の頃からスポーツの才能を発揮し始め、幼なじみのニック・クラヴァットと組んで活躍。NY大へ進むが2年で中退し、クラヴァットと共に“ラング&クラヴァット”というアクロバット・チームを結成してサーカスなどに出演した。しかし39年の公演中に指を負傷してチームは解散。様々な職を経て42年に海軍に従軍。慰問ショーの演出兼出演者として活動した。除隊後NYで職探しをしていた時に舞台のプロデューサーと出会い45年にブロードウェイ・デビュー。この時共演したサム・レヴェンの紹介で後にプロデューサーとなるエージェントのハロルド・ヘクトと出会い、ハル・B・ウォリスと契約して46年「殺人者」で映画デビューとなった。しかしハリウッド・システムの映画製作に疑問を感じ、48年ヘクトと組んで独立プロダクションを設立。「真紅の盗賊」などのダイナミックな冒険活劇を連発してヒットを飛ばした。その後ジェームズ・ヒルが参加して娯楽と芸術性を持ち合わせた作品を数多く製作。独立プロの先駆者的存在となった(代表作は55年の「マーティ」など)。俳優としては「地上(ここ)より永遠に」あたりから演技力を発揮。多くの作品に出演作を重ね、「エルマー・ガントリー/魅せられた男」でアカデミー主演賞を受賞した。60年代からはヨーロッパに招かれヴィスコンティの作品などで更に演技の幅を広げ、その精力的な活動は70年代にも及んで息の長い充実した活躍ぶりを見せていた。80年に心臓発作を起こした以降は映画への出演は減り、TVが中心となったが「フィールド・オブ・ドリームス」では印象に残る演技を披露していた。結婚は2回で二人目の妻との間に生まれた次男ウィリアムは脚本家に、次女のジョアンナなプロデューサーになった。94年、心臓発作でこの世を去った。

allcinema ONLINE(外部リンク)

受賞歴

映画賞受賞回(年度)受賞部門 / 作品
NY批評家協会賞 第47回(1981年)
LA批評家協会賞 第7回(1981年)
ヴェネチア国際映画祭 第23回(1962年)
アカデミー賞 第33回(1961年)
NY批評家協会賞 第26回(1960年)
ゴールデン・グローブ 第18回(1960年)
ベルリン国際映画祭 第6回(1956年)
NY批評家協会賞 第19回(1953年)
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